ミスリードか、はったりか、はたまた「嘘」か。

 今回のタイトルも何だか不穏な感じですみません^^;
 とあるきっかけがあり、そちらに呼応しつつも何だか思い出したように振り返ったとあることについて自分の中で半ばケリをつけたい気分もあり、記していこうかと思います。

 今現在もドリパスで全国区で進行中の”劇場版ファイブスター物語+花の詩女 ゴティックメード”のW再上映、既に行かれた方もこれからお近くの劇場に出かけられる予定の方もいらっしゃるかと思います。(え、なにそれ?という方は上記リンク先からお確かめを!)
 私は今回に限らず、GTM再上映があると皆さんどんな感想を持たれるのかなぁ…とSNSで検索するのが常ですけども、最近その中にこんなご感想を見かけました。(以下筆者及びまとめ人であるゆじお壱子さんにはブログに引用することをご許可頂きました。改めてゆじお壱子さんどうもありがとうございます。)
 このツイートに対して、2012年公開当時に映画をご覧になられた皆様から色々なご記憶が寄せられました。それをゆじおさんご自身がtogetter纏めをされています。こちらからどうぞ。(読まれるだけならば特にツイッターアカウントは必要ありません。)
 ※尚この中には私チークのツイート群も入っています。
 

 私自身もこの時8年前のことを思い出しつつ(まだこのブログを手掛けて半年くらいでした)初日初回を観に行った当時の記事を遡ったり、皆様のお声が詰まったまとめを拝見させていただいたのですけども、次第にゆじおさんのご意見や私自身、あるいは 他の方からもちらほら散見されるとある事項について首をひねるようになっていきました…。
 いや2012年の時点でもとても気になっていていたことなのですけども。その後色々な出来事がファイブスター物語の中で起こりすぎて自分の中ですっかり有耶無耶になってしまったような…。それを改めてゆじおさんが示してくださったような気がするので、ここでお題として掲示します。
 それは
  そう、永野先生、公開前は映画ゴティックメードについて「ファイブスター物語とは別の作品である」とポッドキャスト番組などで仰っていたのです。
 ですので私としては(オリジナル作品という事だから尚更まっさらな状態で観たい。しかも70分位しかないみたいだし、)と真に受けてしまい予告編も一度しか見ないようにしていたことを思い出してしましました…。
 この纏めの中にもありますけども、予告編の時点でこれはボォス星じゃないのか??と察知されたご意見があります。FSS休載中もニュータイプを絶え間なく買い求め、映画作品についてよくよくチェックしていた方は時々示されるひっそりとしたモチーフの同一で公開より先にお気づきになられたのかも知れません。

 しかし自分のような中途半端な感じの(DESIGNSは発売日に買ってたけど、ポッドキャストも聴いてたけどさ…)ファンにとっては冒頭部分も「ずっと待っててくれてありがとうね」という先生からのメッセージなのかな、という感じに受け取ってしまい、私個人の場合はLDI20が出てくるまでは本当にFSSとは別作品だと思って鑑賞していました。
 自分は彼女が喋りだした時点でようやく「え、なんでFSSDESIGNS1に載ってる方が出てくるの??え、システム・カリギュラ??」と戸惑いだし…それから、なんか姿が違う気もするけどモチーフがあの破烈の人形、そしてそれまでのFSSに費やしていた時間全てが爆発するようなエンディングになだれ込んでしまい、導き出されたのが当時のあの速報版・感想文となったわけです。(皆様もそれぞれ驚きポイントもあったかと思いますけども…)

 「花の詩女~」について、映画作品そのものの感想は人それぞれだと考えますけども、自分はゴティックメードという映画作品については、とても美しく優しくて好きで、ベリンが話す「誠実」について自戒する機会となっています。
 それは30回近くGTMを鑑賞した2020年の今も全く変わりません。
 ただ初回の時点での感想文では直に表現することを避けたのですけども、自分は同時に思ったわけです。「ファイブスター物語と関係ないだなんて嘘じゃん!」と。
 ベリンとトリハロンの物語が一瞬完全にかき消されそうになるほどの衝撃は、新たなFSSへの未来が提示されることで、嬉しいんだけども相当複雑な混乱を私にもたらしました。
 そのことが言語化しきれていないけども、当時私はこうブログに書いていました。
「でもどうしてこれを作りたかったのだろう…永野先生にはお尋ねしたい。FSSのアニメでなくこれを。」

 自分の場合は直後に監督、川村万梨阿さん、佐々木望さんの舞台挨拶も含めて3回観に行ったこともあり立て続けに衝撃を受けつつも^^;次第に落ち着いて映画の物語に集中できるようになりましたけども、この「映画ゴティックメードとファイブスター物語とは関係ない」とした公開前の惹句?は時折私の胸を締め付けることとなりました。
 というのも、先にも書きましたけども私は映画の感想を当時からSNSで検索して読んでいました。でもそうしているうちに、これを「嘘つき!」と自分と同じように思い…ファイブスター物語本体にまでサヨウナラ、してしまった方が少なからずいたのを目撃していたからです。
 次第に私のフォロワーさんにまでそういった方が表れた時はショックでもありましたけども、自分も話が違う!という状態からどうにかこうにか(納得というのとはやや違う状態で)折り合いをつけたくらいでしたから、むしろ離れてしまっても仕方ないとも思い、先方に同情したくなる程でした。
 あれから時間が経過した現在では、「ファイブスター物語の映画化だと言っちゃえばFSSファンしか劇場に行かないか」…と云う風にも思えなくもないのですが…。
 私個人としては永野先生にそういった「はったりなのか嘘なのか、あるいは下手なミスリードなのかよく分からないものをまるっきり信じてしまった事による戸惑い」について、その後の2013年のモーターヘッド→全デザインのゴティックメードへの変更の時と同じくらいインパクトが強かったのです。(ただ私が今迄一番衝撃だったのはそこではなくて、何回も書いたけど同時期の年表の変更で3巻のコーラス6とディジナの話がまるっきり没となったことですけどね^^;)

 果たしてこういう思いをしてしまった自分は「事前の勉強不足」なのかそれとも「永野先生の言うことなんかを真に受けるからだ」とすべきなのかよく分かりません。(ただ前者はまだ納得がいくけども、自分はとても好きで尊敬の念も持っている対象について斜に構える、ということはしたくないので、今迄もこれからも、こういったご意見があったら素通りしてしまうと思います。あるいは子供っぽいかも知れませんけども…)
 しかしフィクション作品であるファイブスター物語、その魅惑の世界の源泉である永野先生に(理由はともあれ)ミスリードされてしまうと、読者は一体何処を信じて良いのか分からなくなってしまう。(ましてや解説の多い作品ですしね。永野先生が触れられている事項を元にファンは登場人物や国の未来を想像したり、別視点をもたらしてくれるのですし。)
 「今までゴティックメードの件以外にそんなことあったっけ…?」
 となったときに、ふと思い出したことがありました。
 それがこの画像…。

 「あ、昔の付録についてた(自分は復刻版しか持っていないのですが)”THE OFFICIAL ART OF The Five Star Stories.”のコーラス3の解説はミスリードかもしれない!」
 となりました^^;。(ご興味ある方は中古でしか手に入りませんけども手にとってみて下さい。復刻版でも01年のものです。ラキシスやジュノーンやウリクルのラフとかも載っていたりします。)
 オリジナルが1986年9月号の付録であり、1巻部分の連載途中ですから(自分はオリジナル時に読者ではなかった為リブート1を数え直しただけですが、多分その翌月にラキシスとソープが再会し未来回想の部分に入っている。この回想にはコーラス3やウリクルの死が含まれている)
 勿論この付録が世に出た直後に、人物について設定変更されている可能性についても無きにしもあらずなんですけども、でも未来回想のことも鑑み、ましてやシナリオ根幹のところなのに、今読むと当時のこの説明はないだろう、と言う気分に…。
 私がFSS読者になったのは翌年1987年ですけども、(波はあるものの)ずっと追いかけてきてキャラクター仔細や世界のディティールではなく、実際の物語と比して明らかに違和感を覚えたのはここだけかな。勿論今までだって設定変更は他でも色々観られましたけども、(それに納得がいくかは読者次第ですけども)何らかの折り合いをつけているように思えますから。

 …え、私何について書いていましたっけ^^;
 いやそのくらい、永野先生からのミスリードって今までとても少なかった故に、あの「ゴティックメードはファイブスター物語とは別作品である」と先生に言われていたのは私には衝撃だったということです。ですから…
 ゆじお壱子さんには、折角この機会にゴティックメード巡り会いご覧いただけたのだから、長年そう思われたのも至極当然の事だと思いますし、どうぞお気になさらずにして頂きたいです。
 そして私ももし過去に遡ることが出来たなら、「ゴティックメードって何となくFSSと関係あるらしいよ」位の予備知識くらいで作品に接することができたら最高だったよなぁ…と強く思うのでした。
 (永野先生次にもし映像化する時はファイブスター物語と銘打つとインタビューで仰っていたから、その点では安心していいのかしら^^;)

 そしてファイブスター物語のあらゆるこれからについて、色々へっぽこ予想をするにしてもミスリードの可能性も一応考えなきゃいけないのか…という悩みも(普段ボケーッとしてばかりの)私の中に入ってくるのですけども、とはいえ何十年も同じ作品を楽しんできてこういう状態。可能性としてはとても少ないながらも、今後も全く無いとも言えなさそうです。
 ですから…今現在とある一点については永野先生からのミスリードを疑っています。
 その答えがわかるのは…今年は無理でも、来年早々には分かるのかな。
 さてさて??
(このブログを定期的に読んでいらっしゃる方はどこだかお分かりになるでしょうから、あえて明記しないでおきますね!)

コメント

匿名 さんのコメント…
花の詩女 ゴティックメード、2012年公開だったんだ。
気が付けば随分と前だったんだな。

FSS休載時はNewtypeも購読してなかったので事前情報はなし、
FSSとは全然関係ないんだーと思いながら映画館に向かった記憶があります。

開始早々にカレン、天照、ラキシス、
KOGモドキ?(マグナパレス)が出て来て、
アレ?アレレと思いながらエンディングで全て持っていかれた感じです。

驚きすぎてGTMの駆動音に耳を澄ませられたのは
2回目の視聴時ですね。

映画を見終わって思ったことは色々とありましたが、
嵌められた!!という歓喜と、動くMHが見たかった、かな。

それもFSS連載再開でさらに度肝を抜かれて、
吹っ飛びましたけどね。



チーク さんの投稿…
8年前を懐かしまれた方
どうもこんばんは。匿名の方へのお返事はもれなく変名の法則によりこういったお名前なのはお許しくださいね^^;
そうなんです、ゴティックメードももう8年前…。恐らくFSSファンでもそうでない方でも、映画をご覧になった方が100人いれば100通りのご感想があるかと思います。

実は私は冒頭のMGPについては「KOGに白い所あったっけ?」位でKOGだとすっかり思っていましたし、ファイブスター物語読者へのファンサービス、もしくはFSSとは別物の新しい展開位であろうと思っていました。
公開直前の永野先生と井上専務のポッドキャスト放送によって、ゴティックメードは別作品だと思いカイゼリンの戦闘シーンまでは別の宇宙のお話だとすっかり信じ込んでいたため、ツバンツヒが出てきた時は衝撃で…ですからむしろ、カイゼリンの音などは迫力を持って楽しめていたと思います。(F1日本グランプリのスタートなどはああいったエクスタシーの絶頂(なんじゃそりゃ、ですが^^;想像を絶する音形が、ターボ型となった今現在でもします)感覚に近いですし、そのあたりが最先端的でリアルだなぁと…。)戦闘シーンが短いというのも、FSSでは一瞬で決着がつくことも多かったのでらしいなぁ、と余裕があったほどです^^;

でもそこからはもう本当にガタガタでした。フィルモアの文字、あと最後のシーンのこともあり、戸惑いながらランチを取りつつブログを大慌てで書いて…とにかくネタバレには触れないで!とまだ見ていない方に警告しながら帰宅してまずしたことはDESIGNS3を読み返したことでした。
そこには年老いたブラウニー・ライド博士が載っていたりしてやられた!という思いも勿論ありました。ただそれだけならば戸惑いながらも喜びが完全に勝つのですけども、「え、でも永野先生別の作品だと言ってたじゃない…」という暗さがあの瞬間からしばらくの間続き、映画への称賛と並行していました。そのことを今回改めて思い出した形になります。

今となっては多分真相が明らかになることはないでしょう。
ただ今回はじめて映画をご覧になられた方の提起から色々な感想が思い出される体となった時、この「GTMはFSSとは別」と言われていたことを私以外の複数の方からも確認する形となり、私としてはもっと自然な形でリリース出来なかったのかな、ただこの後に続く、兵器がGTMへと変更も控えていたから無理だったのかな、と色々頭をよぎったことを綴ることとなりました。
私はむしろカイゼリンがエンプレスの置き換えなのか?メロウラはネプチューンなのか?と映画から疑問視出来るようになったので多少のクッションとなりましたけども、何処に衝撃があったのか、という点ではFSS読者さんによって本当、色々だったのだろうと思います。
なんだかつらつら書いて申し訳ありません、また機会があれば映画をご覧いただけたらとても嬉しいです!(*^^*)

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