ナオくんって、ノリックなのだろうか?

 
 皆さんDESIGNS6や連載を満喫されているでしょうか?私は…そうでもなくて(^_^;)実は最近こんなものを作ってました…。
 「1日1枚、聴き放題でクラシック音楽!」
というブログです(^_^;)つまりこの「絶対秘密。」と私にとって同類に当たるもの。
 内容は読んで字の如し、アマゾンミュージックの聴き放題プランで聴いた音源を毎日書き留めておいたり、でかけた演奏会などについて書くクラシック音楽についてのブログです。
 
 いや、「別にファイブスター物語のスピードアップといっても、ニュータイプが週刊誌になるわけでもなければ、FSSが月間30ページの連載になるわけでもないから、となると省略されたりされる物語が今後増える。FSSでは一コマで亡くなってしまった伝説のキャラクターがいらっしゃるけども、良くドラマで言われる”ナレ死”や”いつの間にかエピソードがなかったりされていること”も今後出てくるのだろうか…?」
 と拗ねていたわけではなく…(え、そんな風には聞こえない??)このブログで以前書いた展示室9「ディスりは恨みの感情…」同様、とある方(同じ方です)が呟かれたお言葉に刺激を受けて立ち上げてみたものです。
 コンセプトとフォーマットはこのブログ同様にイチから作り直さなくてはならないのでその点は大変でしたけども、ブログですから表現の型さえ出来てしまえば一つ一つの作業は大分楽になりました。
 折角コンサートに出かけたり、こういった聴き放題でも音との素晴らしい出会いがあるのに、何かちゃんと書き留めないとなぁ…と思っていた私のぼんやりとした願望がとある方のお言葉でこうして形になりました。
 また日本のクラシック音楽界隈は未だCDセールスが中心で、でも近年、そういった中でもデジタル配信の影響が大きく、音源を売っているお店がなくなったり規模が縮小したりしており、薄々感じている世界の変貌に対して、多少は「アーティストの収入源」としてこういった配信も活用していかないと美しい音楽はエンターテイメントの中でも急速に縮こまってしまうのではないか?という、なんとなく感じていた危機がありました。
 このへっぽこブログ同様に、ほんの微量、例え砂のかけらでも良いから何かを投じていけたら、と考えています。定額配信であることで自分のお勉強としても大変ありがたい素材でもあると同時に、めちゃくちゃ簡単に「きっかけを手にとってもらえる」チャンスであるかもしれませんから。
 お名前は伏せさせていただきますけども、私に踏み出す勇気をくださったFSSファンの方改めてどうもありがとうございましたm(__)m

 さて前置きが長くなってしまいました。ここはファイブスター物語についてのブログですからそちらばかり耽ってもいけませんし(^_^;)
 とはいえここの所もう一つ…DESIGNS6が出る前から私のアタマに留まっている難題があります。
   それが最近DESIGNS6を目の当たりにして、一層ああ、やっぱりそうなのかな…となんとなく思ったことが、今回のタイトル「ナオくんって、ノリックなのだろうか?」になります。
 以上!

 え??それではいけませんね(^_^;)
 実は2017年、仙台でのオフ会でお知り合いになったハチャさんが年末、私に持ちかけてくださった話題にこんなのがあったのです。
「”ファイブスター物語アウトライン”の158頁に載っている、1999年時点で永野先生がすごくハマっていて、あとで顔を使おうと考えている日本人の某ライダーって誰?」(意訳)
 
 …うーん、これはすごく難題(^_^;)
 最近は永野先生、雑誌ニュータイプの”PEOPLE CARENDER”にメッセージをお寄せになることはめっきり少なくなってしまいましたけども、かつては毎月何らかの話題とともに先生からのメッセージが掲載されていました。
 私が91年にFSSを一度放り出したきっかけになったのも、実はこの先生からのメッセージのひとつ「そのうえあのミカの速さ!エライ!(一部抜粋。153頁に全文あり)」だったのです。それが何のことだか調べたのがきっかけで私はすべてを投げ出しフォーミュラ1へとまっしぐらにダッシュしてしまい、それがきっかけで今の家族と知り合ったのだからオッソロシイコーナーでもあります…。
(余談。FSSへは4年後帰ってきましたけどね(^_^;ただ雑誌や副読本まで本格復帰したのは21世紀に入ってからです…)
 
 すみません話題がそれました(^_^;)そして冒頭の「永野先生がキャラクターに採用しそうな日本人ライダー」についてですが、この話題が成されたのは1999年の10月。
 そのお題について触れられたとき…後先なく私が真っ先ににひらめいたのが「ノリックか???」だったのです。
 そしてノリック選手と同時に出てきた顔がナオ=レイソル=リンドー、もしくはシュバイツァー・ドラクーンだったのです。
 どうしてそう思ったのか、ノリックについて名前をはじめてお聞きになった方は一度このニュース記事をご覧になっていただけたらと思います。
 ノリックこと阿部典史選手はご存命だったらば現在40代半ばで、おそらくどこかのチーム監督など重要なポジションにいらしゃったのではないかと思います…。

 ただ1999年の二輪モータースポーツ界は大変多くの日本人ライダーが大活躍しており、私も二輪は四輪ほど詳しくない為(MotoGPは一度行ってますけど)実際には何人か日本人ライダーの「お顔候補」がいます。
 ノリック選手は99年当時、WGP500ccクラス(二輪の最高峰)で1勝していますけどもランキングは6位でした。
 しかし90年代後半に大活躍し、トレードマークの長髪や(後々切っちゃいますけども)今やモトGP界のレジェンドであるバレンティーノ・ロッシが若い時に彼の名前をもじって「ロッシふみ」と自称していたことは良く知られており、彼がFSS キャラクターの顔となったかの真相はともかく(^_^;)当時から阿部選手については二輪四輪超えてモータースポーツ界で大変話題になっていたため、私がナオの顔とともに真っ先に浮かんできた人物であることはご理解いただけるかと思います。

 ただハチャさんがして下さった話題はやりとりの中で「いや他のライダーもいるしね、」という所で止まっていました。
 それでもDESIGNS6が出版されて読んでみると、ナオくんの扱いの大きさ、「主役級のキャラクターである」と語られていることを鑑み、「やっぱりナオくんのモデルはノリック選手なんだろうか…」とつい考えてしまうのです。
 雑誌内で一番最初に発表されたナオくんのキャラシート(55p)も一見作業服っぽい風情ではありますけども、ああいったずんだれた装いはバイクレーサーの方がなさる感じでもありますしね。(モトレーサーはレース以外…ピットなどではつなぎをまとわずに上半身はラフ、もしくは裸のことも多いですよね。その辺りはF1とは大いに違いますけど…)

 とにかく事の真相はまったく分かりませんけども、20世紀の終わりに永野先生が夢中になったという日本人グランプリ・ライダーが阿部選手だったら良いな、だとしたら今は物語でも大活躍しているから!と心の中でノリック選手にそっと、お伝えしたいと思います…。
 

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