展示室13・玉座の露。(2016作)

玉座の露。

~ジュノー・2960~

 ネマ王国。
 そこは僕たちにとっては、単なる通過点でしかなかった。

 先月終わり頃から、ジュノー星の西側から方々を巡った末……。僕は未だ修行の身ではあるものの、年末年始を久しぶりに母国コーラス王朝で迎えようとしていた。
 刈り終えた小麦畑の枯れ黄色の藁と赤い地面だけが視界に広がる、ハイウェイすら存在しない田舎の一本道を、他に通行する車両もなく、僕たちのモータードーリーだけがのんびりムードで通過していく。
 僕は移動しか予定のない今日一日、午前中のポカポカとした陽気の恵みを受けながら、以前から読みかけていた星団暦はじめ頃の歴史書を目の前に……少し眠気を覚えつつも、いつものソファーで寝転んで捲りリラックスしていた。

 移動そのものも順調だし、このまま行けば日が変わる前には僕の祖国、コーラス王朝の首都ヤースにたどり着くだろう。
 ……そのはずだった。

「クルーズ・コントロール解除、私の手動運転に切り替えます」

 僕たちはリビングで思い思いにくつろぎつつ、端末を駆使しひとり情報収集をしていた僕のパートナーが、ある変化を察知し、険しい表情でただちに遠隔操作で運転卓に指示を出した。

「何かあったのか、ウリクル?」
「前方から……三キロ先に車列。逆走車多数?? 危険です!! 回避を取ります!」

 僕たちは只ならぬ事態にソファーから飛び起きて操縦室に駆け込み、どうしたのか正確にはよく覚えていないほど緊急の操作で…戦闘ロボット・GTM(ゴティックメード)をも格納している巨大なモーター・ドーリーを道からはみ出させた。

 車体に衝撃があるのを覚悟で二車線ある道路から離れ、ドーリーは斜面を崩れ落ちる寸前のような形を取りつつ急ブレーキ同然の状態で、時速三百キロ台から枯れ草の広がる畑の隅にどうにか停止することが出来た。

「オイ、一体何が有ったんだ……」

 よろめきながら操縦室へやってきたのは僕の師匠であるロードス・ドラクーン公。
 さすがの「二代目黒騎士」も、あまりに急勾配の傾斜に対しドーリーが滑り落ちるように突っ込んでしまったのでバランスを崩しかけたようだった。
 彼の後方には、黒騎士専任のファティマ。ロードス公のパートナーでもある少女、エストが控えている。
 彼女は長い栗色の髪の毛を乱すことすらなく、公とは逆に、当然のように落ち着いている。僕にはそう見えた。
「逆走車も多数含む車列の集団がこちら向かって二百キロを超すスピードでやってきます。それも三桁というレベルの台数ではありません。このままでは回避できず何らかの衝突を引き起こす危険性がありました」
 僕と一緒に操舵を試みた、横にいる黒髪の少女……ウリクルが公とエストに状況を説明している。
 その僕達の直ぐ側を、その車列の先頭集団が通過していくのが視界からチラリと見えた。

 ついさっきまでの静けさは、たちまちどこかへと行ってしまった。
 土煙もお構いなしに一目散に西へと向かう集団が絶え間なく、どこまでも続いているように思える……。ただ、そこには明るい気配は一切感じられない。
 彼らは皆焦っている?
 僕達の横をかすめて通過して駆け抜けていく車両はバイクにランド・カー、ディグにトラックと色々な乗り物が見えるが、垣間見える人々は年齢も様々だし、中には路線バスのような、普段こんな人気のない道路では走らないようなものまで猛スピードで通過していくではないか。
「おい、あのバスはネマ中央駅行きと書いてあるぞ。あれは何処へ行くんだ?」
 ロードス公が駆け抜けていく集団に明らかな違和感を見つける。
 このような、突然現れた奇妙でおかしな現象は一体全体何なのか。

 ネマ中央駅というと……僕たちは今回単に通過するだけだった場所…ネマ王国の首都ネマがこの畑からそう遠くないところにある。
 そこで何か緊急を要するような事態が起きているのではないか?
 僕たちはそう結論付けると、情報収集はお手のものであるファティマ達……ロードス公のエストと、僕のウリクル。――彼女達はそう呼ばれている人工生命の少女だが……。ふたりにその手の作業を任せ、僕はマントを被って一度ドーリーの外に出て、集団の誰かに直接尋ねてみることにした。
「マスター、外は何が有るか分かりませんから、どうぞ剣もお持ちになって下さい」
 ウリクルが心配そうな表情で僕をマスター、と呼び『曇ったアメジストの瞳』を自分にに向けてくる。
 ※ファティマの瞳は相当近寄らないと表情が分からないレンズをつけている。
「大丈夫だよ、ウリクル。もしも危なかったら一目散に逃げ込むよ」
 僕はかすかな不安を丸め込んで、彼女に笑ってみせた。
 そうするしかなかったように思えた。

 しかし、フードで顔を隠したままの怪しい旅人では、誰も僕の呼びかけに誰も立ち止まってくれそうもなかった。
 さっきまでここには静けさしかなかったのに。脇目も振らずに通り過ぎていく面々を確かめに道路近くまで実際に戻ってみると、彼らは巨大な集団ではあるもののこれといった規律が有るわけでもなく、ただ何かに怯えとにかく何処かへと逃げているとしか思えなかった。
 一か八か、視界のはるか先にオアシスというか池のようなものが見えたので、そこへ移動し跳躍してみることにした。

 普段は麦畑に使っている人工池と思われる空間では、様々な身なりの市民が大勢、乗り物を停めて立ち止まり休息している風ではあったが皆焦燥感を表情に漂わせていた。
 誰に尋ねるべきかキョロキョロしつつ僕の視界に止まったのは、ディグの側で数匹の小さな犬に水を与えている黒い無精髭を生やしたいかつい風体の中年男だった。
 彼も疲れた様子でうつむきながらミネラルウォーターを飲んでいた。
「あの……」
 男は自分が直ぐ側まで来ていたことに全く気が付かなかったらしい。……水を勢い良く吹き出し僕にも少しかかってしまった。
 声をかけるタイミングを間違え咽返らせてしまったことを申し訳なく思いつつ尋ねてみた。
「すみません、旅の者なのですが一体この先……ネマ王国だと思うのですが何かあったのですか?」
 どうも犬たちまでもが僕を取り囲み、警戒し吠え出すので、自分の正体がバレるのを恐れつつフードを取りこの男の返事を期待するしかなかった。
 幸い男は僕が誰であるかは分からなかったようだが、安堵したのはそこだけだった。

 彼の口から語られる言葉はあまりに恐ろしく、到底信じられないものだったからだ。


「ん?旅の者? お、お前これからそっちへ行くのか?? やめろ!やめておけ!! あそこへは行くな!! 俺はようやく『この子達だけ』救い出して逃げ出してきたんだが」
「地獄だぞ。もうおしまいだ!ネマはおしまいだ……!!」
 最初は目を皿の如く開き、次は僕の両肩を掴んで振り全力で拒否の姿勢を取り、そのまま崩れ落ちるようにして僕の膝で泣き出したのだ。
「……おじさん、い、一体何があったのですか、ネマ王国に」
 僕はごっつい体格の男が取るような行動とは到底思えないような弱々しい態度に戸惑いながらも、もっと詳しいことを彼からなるだけ聞かなければとも思った。

 ……ここからは、混乱と動揺が普段とは一変させてしまったのだろうこの男の、回りくどくも何とか話してくれたことをかいつまんで、整理してみることにする。

 男は早朝の仕事で奥さんがいつものように先に出かけてしまったので、ひとりで用意された朝食のパンを食べながら国営テレビの朝のニュースを見ていた。
 いつもの、眼鏡をかけた爽やかな男性アナウンサーが普段と変わらない、時には微笑みを見せながらもいつもの時間どおりに時事やスポーツの結果を伝えている。
 そこにだ、何かがヒュン、と音がした後にその……、今さっきまで微笑んでいたアナウンサーの首が宙に飛んで転がり、頭のない身体から血がスタジオ中に吹き飛ぶ様子がカメラに映し出されたのだった。
 あまりの事態に男は飲んでいた牛乳を吐いてしまった。
 その後複数の悲鳴らしきものが聞こえてきたが、そこで放送は途切れ、そのまま中断してしまったらしい。
 奥さんは街の中心部に勤めているらしいが、一切連絡が取れず彼はディグで探し出そうとしたものの、街はそのニュースを見ていた人々で通りが溢れかえり、逃げ出す人々の波で不可能だったと。
 そんな最中「これはテロだ、犯人は王宮方面に向かっている」という誰かの話を小耳に挟んでしまった。
 自宅のペットは連れだしたものの奥さんを置いてきてしまったことが非常に気がかりだ……。

 大男の涙を拭ってもらうのは大変だったが、何とか彼をなだめて礼を述べ、急いでモータードーリーに戻ると、情報収集役であるファティマの二人は、既にそのことも含めて幾つかの情報を得ていた。
「ネマ国営テレビ局にテロ、早朝ニュース出演者含め多数の死者。犯人は単独か複数かも不明。映像からキャスター殺害犯は騎士の模様」
「国営テレビ局入り口前にも男女複数の遺体。ネマ王国騎士団所属の騎士ひとり含む」
「コーラス王朝にあるネマ王国大使館から救助要請がある。しかし詳細不明。大使館側は本国と連絡が取れていない」

「……その今朝のニュースからもう三時間経っているぞ。情報が足りなすぎる。しかしまず王宮へ行くしかないだろう」
「だが騎士が犯行に及んだのならもう全ては終わってしまっている可能性が高い。王国騎士団の者までやられてしまっているのだ。一体何を狙っているのかわからないが、最悪の事態に備えてネマ入りしよう」

 師匠は即決した。僕たちはとにかくネマ王国の首都ネマに急行することになった。
 エストに首都までの運転を任せ、残った面々で剣を、移動用に積んであるディグを、あるいは緊急医療設備を点検に、方々へ散ることになったのだった。
 ……ただ僕は思うことがあり一旦リビングに戻り、端末をいじって父と連絡が取れないか試みてみた。
「おおお前か。ひょっとして今、ネマか?」
 割りとすぐにホットラインが通じたようだ。
 画面から映る父の様子から、この事件のことは自分の祖国、コーラス王朝側にも既に到達しているようだった。テレビ画面の向こうから、父は王朝の中心メンバーと会談していたらしいのが分かる。バランカ家のルーパス小父さんと、マイスナー家のリザード小母さんの顔が映っているからだ。
 ……メロディ家のピアノ小父さんは席を外しているのだろうか?

 父はコーラス王朝最高権力者たちによる緊急の話し合いの続きのような感じのまま、苦笑いしながら僕に問いかけているようにも見えた。
「ネマ大使館側からは緊急要請がありこちらからも救助隊と警察保安隊を向かわせている。しかしロードス公とお前のほうが早いだろう。何が有るかわからないが……王宮に向かってくれ。正直状況は良くないと思われる」
「現地で判った事があれば、また教えてくれ」
 解りましたと返事をしたものの、この時はまだ父が……コーラスニ世(セカンド)が何かを包み隠して僕に話しかけている事には、残念ながら気が付かなかったのだった。


 エストの抜群のナビゲーションと運転と、逃げ惑う人々を回避する能力とでどうにか一時間あまりの時間でに首都ネマにたどり着いたものの……街は既に沈黙に包まれていた。
 息を潜めたなんて表現するのは生易しすぎるように思えた。
 都会のビル群は確かに物音ひとつない静けさがあり、辺りを歩く者すらどこにもいないように思えたが、時折警察の車両などが黒煙を上げ燃えており、その陰やあるいは道端のど真ん中にも死体が、掬い上げられることもなく方々に倒れこんでいるのだった。
「皆頭が割れているわ」
 ウリクルが、その状況を努めて冷静に説明をしようとしているけれども、ディティールを省略するあまり話し手がイカれてしまったような発言をしている。
 勿論彼女の伝えようとしている言葉は嘘偽りなく大真面目だ。
 本来どんな顔をしていたのかもわからないとか、大量の血液と灰色の脳みそが四方に飛び出しているとか、そんなおぞましい事は口にしなくて全く良いのだ……。
「あれは同じやり方で同じように殺されている。騎士ならばソニックブレードか?」
 様々な戦場をくぐり抜けてきた『黒騎士』、何処の国家にも属さない歴戦の勇士でもあるロードス公はそれでもこの四人の中では一番落ち着いていた。
 数えきれないほどの大勢の死者が街中に横たわっているものの、その殺し方……同じような剣技の繰り出し方とその正確さから犯人は単独犯かもしれないと彼は予想を立てつつ、ファティマ達が入手したネマ王宮の地図を確認し、僕と短い段取りで打ち合わせをした。
 王宮に到着後、僕とエストが正面から、公は西に控える後宮を探ることにし、ウリクルは入り口近くの広大な庭園で、ドーリーに乗り合わせたまま連絡役と、周囲の状況をモニタリングする事で見解が一致した。

 そうしてたどり着いたネマの王宮、その半開きになった巨大な門扉に……一人の、黄色い帽子と同色の制服、頭には赤い大きな羽根をつけたえらく派手な格好の者……その姿から門前を警備すると思われる兵士がひとり崩れ落ちて、わなわなと震えているように見えた。
「助けてください助けてください! 一体何があったんですか! 10分前に定時交代で来てみたら……」
 ロードス公と僕は、涙を流し怯えてすがりつく彼の背後を目の当たりにして戦慄した。
 王宮は、その白く長い宮殿への入り口から、あちこちが血塗られていた。
 殺戮から時間がいくらか経過しているのか、生臭いような血と死の匂いを、その奥から視覚と嗅覚とで漂わせている。
 華麗な彫刻が施された噴水は血で赤く染められ、四方には投げ捨てられたような遺体が十名ではきかないくらい多数転がっている。帯剣している者もおり多くは騎士なのだろうか。
 亡骸からは、名前はおろか一体どんな顔の者がこの王宮に仕えていたのかすらわからない。
 老若男女関係なく…着衣しているズボンやスカートやヒールから多分そうだとしか言えないが、やはり皆同じように『頭が割れていて』脳味噌を飛び散らせて方々で倒れていたのだった。

 あまりの流血の惨事に立ち尽くす僕達と時を同じくして、赤十字の人達も救助に駆けつけ、王宮に到着し急に生きている人間が増えた。
 沈着冷静な彼らは、流石に僕達が何者であるのか気がついたらしく
「大変失礼ですが貴方様は黒騎士ロードス・ドラクーン公、そしてコーラス殿下ですか」
 白衣を着用した赤十字のリーダーと思われる人物がこちらに向かって敬礼し、幾つかの質問と、形式的な自己紹介を交わす。
 彼は怯える警備兵をスタッフに任せ救急隊に誘導してもらいながら、つぶやく様に小声で僕達にに話しかけた。
「周辺国からの救助指令があり我々もこちらに向かいましたが…この状況。果たして王宮の生存者は先の警備兵の他に、いるのでしょうか……」
 とにかく彼らとも協力し手分けして怪我人…生き残った者の捜索、救助活動をしようということになったのだけれども、一方でこの後、騎士を含む大勢の遺体の前を通過しなければならない事は、突入する前から明らかであることを覚悟しなければならなかった。
 そして奥に進めば進むほど、ひょっとするとまだ犯人らがそこにいるのかもしれないのだ。
 相手は国家騎士が剣を抜く前に打撃で大勢を殺している。
 同じような形で次々と頭を打ち砕き回っているのだから、よほど腕が立つ者だとしか思えない。
 自分の背中に冷や汗が流れていくのを感じたことのない緊張と共に気づき、僕は思わず歯を食いしばった。
「エスト、坊やを頼むよ」
 師匠は相変わらず僕を子供扱いしながらも、当初の予定通り後宮へと駆け抜けていくのだった。

 僕は右耳の入り口に装着したカメラ付きの通信機器…傍目には小さな銀のクリップが挟まっているように見えるだろうか、それを指で弄って留守役のウリクルに連絡を取った。
「ウリクル。ここから先記録出来たら頼みたい。では行ってくる。あまり期待できないかも……、だけど」
「わかりました。……どうかお気をつけて、マスター」
 力ない声だったがそれでも耳慣れた響きが僕にはとても優しかった。
 モーター・ドーリーに自分のパートナーを残し、僕は剣を携え、もう一人のファティマ、エストと共に正面の回廊を駆け抜けていくのだった。


 僕と歳がひとつしか違わないファティマ・エスト。
 ……といっても彼女は誕生した時から既に成人していてもうこれ以上歳をとらないし、殆どの人間では太刀打ち出来ない驚異的な頭脳を予め持ちあわせ、僕の父を含む何人もの屈強な騎士に仕え、僕よりも遥かに多くの戦場と戦闘を身を持って体験している。
 そんな彼女だからか、進む先進む先に何があっても戸惑ったり驚いたりはしないのだろう。先程から表情を一切変えることはなく僕に付いてくる。
 しかし僕は……今にも吐きそうなのを、師匠のファティマとはいえ女の子にそんなみっともない姿を見せられないからというただひとつの理由で、どうにかこらえるのが精一杯だった。
 王宮のどの空間を覗いても、あるのは同じように頭を砕かれ、血にまみれた遺体ばかり。
 息絶えた子供や青少年も少なからず目撃した。犯人がやって来て彼らはどんなに恐怖だっただろう。
 あるいはそんな事を感じる瞬間も、なかっただろうか。

「殿下、この先に玉座が有るはずですが……」
 血塗られたような真紅の絨毯が引かれた広い廊下を指さしエストは淡々と僕に伝えた。
 絨毯の先にある、蒼い貝殻で出来たような淡い光を放つ大きな扉は閉ざされて静まり返っていた。
 その眼前にもやはり、恐らく王宮付きの騎士が二名、血を流しやはり脳味噌をかち割られた状態で息をしていなかった。
 この先に国王、あるいは国王一家は控えているのだろうか。
 ……外遊中で留守か、もしくはこの分厚い扉で、その向こうは何かもが護られていて欲しい。
 叶わないような気がしつつそう心から願いながら、僕たちは勢い良くそこを突破した。

「きゃあああああ!」
 突入と同時に僕の後方にいたエストが、今まで一切の負の感情を露とも見せなかった彼女が悲鳴を上げたのだった。
 彼女の高い声に僕が振り向くと……。なんと、僕は何かを踏みつけており、それは誰かの長い髪の毛…金髪の主は被ったままの王冠と見て知った顔からネマ王国の国王だとすぐに解った。
 そしてその……目を見開き、苦痛と恐怖を刻み歪んだその顔には、首から下が存在しなかった。

 僕は慌ててその場を避けたが、すっかり気が動転し、この先どうしたら良いのかわからなくなってしまった。
 他にも亡骸が多数横たわっているようにも思えたがまず玉座と思われる場所に目を遣ると……国王は首から下だけでもそこにはおらず・・・血塗られた陛下らしき哀れな遺体は階下へ投げ捨てられていたが・・・違う誰かがそこに鎮座していた。
 その人は震えているのがまだ遠くの踊り場にいる僕からでもわかった。
 銀色に光るクリスタルを額につけ、宝石と同じ色の瞳を見開いてこちらを凝視している短い黒髪の少女。
「……ファティマ? 君、生きているの??」
 エストと僕は玉座に駆け寄った。
 そこに座っているのは確かにエストやウリクルと同じ、ファティマだった。

「あ、騎士様……。そして……エストさま……」

 彼女は一切動こうとはしなかったが、か細く声だけは発した。
「すみません、わたし、わたし、手も足も折られています。動けません、すみません」
「君の名前は? 何処の所属?」僕は銀色に光る目を持つ少女に話しかけた。
「私は……イレース。ネマ王国騎士団ギョーム・バトライトに仕え……ていました」
 イレースというファティマの声は痛みに耐えているからかうめき声に近い。それでも必死に僕達を見つめ、語りかけていた。
「ファティマ・イレース、彼女を照会できました。間違いありません。ネマ王国騎士団所属、タイプS型。ファクトリー・ドルンフェルダー出身です」
 僕の声に反応したウリクルが情報を追加して届けてくれる。
「一体何が、一体ネマ王宮と君の主人に何があったのか、君は知っているのか?」
「全てはわかりません……。私が知っていることは少しだけです。騎士様聞いてくださりますか?」
 頷き、彼女と同じ視線になるようにひざまずくと、イレースは安堵したのか、少しだけ微笑んだように僕には見えた。

「私はマスターが夜勤と日勤の勤務交代引き継ぎをするために、一階の騎士控室にて待機していました。私がそこにいたのは夕刻からの、訓練に関するスケジュールをマスターと引き続き打ち合わせするためでした」
 痛みに苦しみ呼吸が荒くなっているのがわかったが彼女は自ら続けた。
「突然部屋の扉が乱暴に開いて……何か空気のような流れがあって、マスターと、もう一人の騎士はたちまち絶命しました」
「私にもすぐさまそれが飛んできて…両手と両足を折られました。動けなくなり椅子に座ったままの私を、その人は私を仰向けにして左肩に、ぶらりとさせて一緒に移動させられました」

「……その人はどんな人ですか。ひとりですか」
 エストが僕の足りない部分を補うようにイレースに尋ねた。
「一人です。長い黒髪の……女の人です。まだ若いひと」
「その人は私を逆さに抱えながら……私が見聞きしたのは幾多の悲鳴と血と倒れこむ騎士様や宮廷にお仕えする皆様の姿ばかりですが……何も言葉を発さずに、片手だけで人を殺していって、そのうちに謁見の間にたどり着いたらしく」
「そのひとは……そのひとはそこでこう話して」

「何と言ったの?」
 イレースの短い説明でも惨状は実感として伝わってきた。
「……『フンフト様のかたき!!』と言って、陛下に襲いかかったようです」
「わたし、私たくさんの人がああなったのに、何もできませんでした……」
 呆然としたようなイレースの頬に一筋の涙がこぼれた。

 ……フンフト様? フンフトって……僕の記憶がその名前を巡る前にエストが再び、整った声でイレースに質問した。
「……残念ながら、お分かりだと思いますが陛下はもう身罷っています。あなたは何故ここに?」
「そのひとは、私を玉座に座らせました。そして、『ここにいればやがて救助がやってくるだろう。君は全てを伝えるが良い』と。そして直ぐ様去って行きました。手には木刀を持っていました」
「それが騎士様がここにいらっしゃる九十分前……九時過ぎのことです」
「何が起こったのか、私が知っているのはこれが全てです」

「……イレースさん、ありがとう。もう大丈夫。救急隊も来ている。君は助かるから、助かるから……」
 身体の痛みに苦しみながらもやっとの思いで、主人が殺されたことも含め話してくれたイレースに対し、僕は何を言って彼女にどういう思いを伝えたら良いのか分からなかった。
 ただ短い時間でも、きっとイレースはこの世のものとは思えない流血の地獄を見たのだろう。それだけは良くわかったつもりだった。
「ありがとうございます、き、き……」
 イレースのか細い声はますます小さくなり、玉座に腰掛けたまま彼女はうつむき倒れこむように気を失ってしまうのだった。
 僕は慌てて彼女の小さくか細い……しかし体温と重みをしっかり感じられる身体を受け止めた。
「……殿下、イレースさんにはとりあえず赤十字に来てもらいましょう。手足を怪我していますが命に別状はなさそうです。他にも生存者がいるかもしれませんから」
 僕の側で同じように話を聞いていたエスト……ただ僕と違うのは、極めて冷静な態度を心にも表情にも貫いている彼女は、腰にぶら下げていた救急ポーチからトリアージを取り出し、赤いタグをイレースの首元にそそくさと取り付けるのだった。
 襟の高いブラウスはボタンを二つ緩められ首元の白い肌が僅かに見えた。
「救急隊を謁見の間にお願いします。一名生存者あり。……ネマ国王陛下、王妃含む八名カテゴリー・ゼロです」
 エストが僕のするべきことを全て代行しながら、僕は惨状の連続の中、ようやく見つけたひとりの命と向き合っていた。
 赤十字が来る迄の僅かの間だけ、また取り残されるであろうイレース。
 少しだけ落ち着いた呼吸を感じ取りちょっと安堵しつつも、やはり何も出来ずに僕は彼女の長い睫毛を、ただボウッと見つめているしかなかったのだった。


 ネマ王国はこのままでは消滅してしまうだろう。恐らくたった一人の女騎士によって。
 推定時間九時半に王宮にいた者は騎士、王宮仕えの者、政治家、国王一家含む全員……イレース以外の生存者は誰ひとりとして、王宮にはいなかったのだった。
 頭部が砕かれた遺体……さすがにその惨状は黒い布で全身を隠されたが、躯ばかりが王宮の外に運び出されていく。
 時計は午後四時を回っていたが繰り返される作業はまだ終わりそうもない。
 身体はまだ動けると思うのに少し休みたいという気分になり、走り回っていた身体を木陰に避難させ座り込み、下を向き眼を閉じた。

「フンフト様のかたき!」

 ふとイレースの言った、女騎士が発したというあの言葉のことを思い出した。
(フンフトって、ボォス星聖宮ラーンの詩女、ナトリウム・フンフトのことか!?)
 僕は目がすっかり覚めて、そのまま休まずにモーター・ドーリーへと一旦引き返した。
 そして一目散にリビングへ戻り、父と再び会話を試みたのだった。
 ホットラインはすぐに王室へと繋がった。
「王宮の死者は騎士二百数十名含む約五百名。生存者はファティマ一名のみ、か……。ご苦労だった。我が国含む連合軍の救助隊がネマに到着しているとさっき報告を受けた。もうお前は帰って来なさい。今からならば急げばまだ未明にヤースに着けるだろう」
 父は何故か急速に僕をヤースに戻したがっているような態度を示してくる。
「父さん、犯人はナトリウム・フンフトの敵と云う名目で壊滅的な殺戮を行ったようですが、木刀の女騎士のこと、父上はご存知なのではないですか?」

「……とにかくお前は無事に帰って来い。ロードス公には私から直接伝えておく。久しぶりのジュノーなのにお前には辛い思いをさせてすまなかった。こっちではゆっくりしていけ」
 ……通信はそこで一方的に切られた。
 そして、僕は一旦はネマ王宮に戻ったものの、直ぐ様ロードス公によって呼び戻され、慌ただしくモーター・ドーリーは全速力でヤースへと出発した。いや、出発させられた。

「君の父上から伝言だ。夕方のニュースは見ておくようにとの事、だ」
 午前からの大惨事に流石に疲れきった様子を見せていた師匠は、そのまま自室へと篭ってしまった。
 僕もかなり消耗していたけども……。まずウリクルと二人で、不安そうな彼女の横でニュースをチェックすることにした。
 今回留守役を務めてくれた自分のファティマの横顔を、いつも一緒にいるのに何だか久しぶりのような気分で目の当たりにし、彼女の持つ曇った瞳、その面影から、僕は先ほど自分に語りかけていた銀色の瞳、イレースの事を思い出していた。
 イレースさんはあんな突然に、それも自らの目の前で主人を殺された。あんな形で人生を変えられ、彼女はすぐに新しく仕える者の所に就けるのだろうか……?
 ぼんやり考えながら窓の外を見遣ると、冬の日差しはまもなく昼の役目を終え、顔を地平線に隠し太陽の名残りが暗い赤みを帯び空に残る。
 今日はえらく長く短い、あまりに多くのことがありすぎた一日だった。
 しかし、まだその日は終わっていなかったのだった。


 夕方のニュースはあのおぞましい殺戮について即座に発せられるのかと思ったら、そうではなかった、違っていた。
 女性アナウンサーが最初に発したのは全く別の事件についてだったのだ。
「詩女ナトリウム・フンフト懐妊により詩女資格剥奪。父親はコーラス王朝メロディ家公爵ピアノとの不義によるもの。
後任の詩女着任までラーン詩女の執務停止措置。メロディ家はこの一大不祥事により謹慎命令。今後、家名及び領地剥奪を含む本家コーラス王国の判断がなされると思われる……」
「あっ!!」
 このニュースを……あまりに思いがけない母国からの知らせに二人して呆然として聞いていたが、そんな瞬間を破るようにウリクルが突然、小さな悲鳴をあげ立ち上がった。
 そして慌ててドーリーの操舵室へ向かって行くのを追いかけついていった。
 彼女は情報端末を複数弄りだし、電子新聞や他のニュースをつぶさに追いかけ始め、やがて首を振った。
「どこもネマ王国について報じているメディアはありません。詩女剥奪のことばかりです」
「まさか、まさか……」
 次に彼女が探しだしたのは、…これは情報捜索の達人である彼女ですら多少時間がかかったが、たどり着いたのは赤十字によるネマの死亡者リストだった。
 ある意味手慣れた彼らの熱心な仕事ぶりで、DNA鑑定による身元もだいぶ判明しているらしい。
 数は…民間人含め一千五十六名。やはり大虐殺としか言いようのないものだった。

 僕達の不安はますます大きくなりつつあった。
 勿論自分の国、それも身近な親戚の起こした事件については衝撃的だった。
 なのに何故、大勢の死者が出ているのにネマ王国の件に関しては一報すらないのか。
 ウリクルが別のリストを探し当てて更にそれは具体化した
 ……信じられない事態だった。
「マスター」
 ウリクルは操作している手をふと止め、僕を曇ったアメジストの瞳で見つめ……やっとの思いで発した言葉のように思えた。
「マスター、負傷者リストにイレースさんの名前はありません。ゼロです」
「ファクトリーのファティマ登録リストには『死亡』になっています……」
 その言葉は、僕達を絶望的な混乱に追いやった。
 どうして僕たちは急いでヤースに向かわされたのか、詩女フンフトの事件と全く報じられない今回の大虐殺は関係が有るのか?
  イレースだけを生かしておいた木刀の女騎士。
 『フンフトの敵』と国主に言い放ちネマ王国を一人で壊滅させ、多くの無実の市民を死に追いやった長い黒髪の若い女。
 なのにそれを唯一知るイレースが……怪我しただけで救助されたはずのイレースまでもが、その後誰かの手にかけられた?
 ウリクルの言葉は最終的にとどめをさした。
「データの更新がありました……イレースさんも……赤十字の死亡者リストに入りました」
 彼女の声は、明らかに震えていた。

 やがてロードス・ドラクーン公が休息から僕達のもとに戻ってきて、ヤースに到着する前に、とリビングで全員による『とある事情説明』があった。
 この殺戮が世間に顕になるのは時間がかかるだろう。ネマ王国がたったひとりの手により崩壊し、今は君の国……コーラスを含む星団中が躍起になって駆け引きをしている。ネマの政治的状況が落ち着くまでは虐殺のことは語られないだろう。
 そして君の聞いた木刀の女騎士だが、ごく一部の者にはその存在を知られている。
 しかしその人物は以前にも様々な事件をあちこちで起こしており、その度フィルモア、ハスハ、バキン=ラカンの大国含む政治的判断で有耶無耶に……もっと悪く言えば闇に葬られている。
 今回あんなに罪のない人々を多く殺しており非常に憎いだろうが、残念ながら私にも君にも倒せないだろう。
 しかも今回の詩女フンフトの事件はコーラス王朝が関わっている。こちらも父上が判断されるまで何も手を出さないほうが良い。フンフトの名前を出したイレースの事もだ。
 君がしていた記録は出発前にエストに消させた。とにかくコーラスが問題を解決し、ネマ地方が落ち着くまでは事態を静観するように……。

 それはロードス公自身にとっても辛い決断だったこと位の想像は出来た。
 しかし、しかしだ。一千五十六名の無実の死者に、さっき自分と話しをした者の名前までが連なる事が確定しそうな今、僕は黙って部屋を出て行くしかなかった。
 目から何かが溢れていくのを放置しながら。


 やがてモーター・ドーリーはコーラス王朝に入り、予想よりも遅れてマイスナー領を抜けたところで日が変わった。
 僕たちは一旦休息を求めて、朝見たような水のほとり……もっともこちらは、逃げ惑う人で溢れかえった農業用の溜池ではなく、小さいながらもリゾート地のとある湖に立ち寄ることになった。
 僕は着くやいなやドーリーから飛び降りて、湖のほとりまで一人ふらふらと歩いて行った。

 漆黒の闇の中に僅かに光り瞬く星々と、ドーリーのささやかな明かりに照らされた水面がゆらゆらと輝く。
 真夜中だからか岸辺には誰もおらず、満点の星が水面に降ってきそうだ。
 しかし、僕は疲れきっていて……。この半日あまりの時間で起こったことに頭が納得できていないのか、あるいは自分の見てきたもの、闇に葬られそうな多くの無実の死を、僕がもっと上手く立ち回れたならば、もっと生きられたかもしれないイレースの事を考え泣き崩れたからか、眠れもしないしただただ漫然と鏡のような水面を見つめていた。

「マスター。風邪を引きますよ」
 岸辺にひとり座り込んでいると、やがてウリクルが薄手の毛布を持ってやって来た。
 彼女は僕の肩に毛布をかけてくれた後、やがて自身も隣に腰を下ろしたのだけども、僕は彼女に何を、何と、話して良いのかさっぱりわからなかった。
 しかし心配そうにしてくれるアメジストの瞳は、何かを待つようにただ一心に僕のことを見つめているようだった。

「……ウリクル、何もない無実の人々が、折角生き残ったファティマが、こんな酷い、訳の分からない事件で殺され人生が止められ、闇に葬られて良いのだろうか」
「ひょっとするとナトリウム・フンフトはこの事件の真相を知っているのかもしれない。木刀の若い女騎士のことも。折角殺戮の犯人が分かりかけているのに……!」
 ウリクルが来てくれてからどの位時間が経ったのだろう、分からないが暫くの静寂の後にやっと、僕は自分の思うことを口にした。
 でも……女の子の前だというのに、ウリクルと話しているとまた先ほどのことが次々と思い出されて涙が出てきそうだった。
 堰き止めようとすればするほど、また記憶が、イレースのか細い声と共に溢れかえってくる。
 僕の、無念ともとりとめのない話とも取れるような鼻水混じりの情けない声と……その後の慟哭とを、ウリクルはひたすら黙って耳を傾け……そうしながら、彼女はやがて着ていた木綿のチュニックのポケットに手を入れ、両手を僕の前に差し出したのだった。

「マスター。使えるのならばこれを使って下さい」

 彼女が差し出した黒い小さな豆粒、或いは種のようなもの……それが何なのか、すぐに分かった僕は驚き、ウリクルの方へ、涙で濡れ充血したみっともない顔を向けた。
「イレースさんとマスターとのやり取りを録画していたものです。……あのとき、話の内容に胸騒ぎがしたので、ロードス公より先にスペアデータを作っておきました」
「私が出来ることはこれしかありません。してはいけないのかもしれません。でも、でも……」
 ウリクルは何故か下を向き、それ以上は黙りこんでしまったのだけど、僕には隣のパートナーが、かけがいのない存在が傍にいてくれたことにこれ以上ない喜びを感じたのだった。

 僕はかつて君と出会った時のようにその小さな両手を再び取って、星だけが知っている水面である事を誓った。
「ウリクル、今すぐは無理だけども近いうち、一緒に事の真相を聞きに行こう。詩女ナトリウム・フンフトに」
「彼女ならば多分、何故こんなことが起こったのかきっと知っている。このままでは誰も報われない。ふたりで聞きに行こう」
 僕は上手く君に伝えられなかったかもしれない。でも彼女の答えはひとつだった。

「はい、マスター。何処までもお供します」
 明快なその声にやっと、少しだけ笑うことが出来たような、そんな気がしたのだった。

おしまい。

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この作品は2016年の初頭に書いたものです。
 2020年の現在の物語を思い浮かべればもう大笑いですけども、一応21世紀初頭、ミス・マドラが登場したころFSSの扉絵に書かれていた「ネマ王国の虐殺事件」について触れ、連載当時からどうだったんだろうという事を思いずっと考え、予想していたことを綴ってみたものです。(この扉絵は現在FSSリブート7で確認することが出来ます。ご興味あればどうぞ。)
 イメージスケッチを2012年に描いて、そのまま挿絵にも採用しました。
 この虐殺と、当初ナトリウム・フンフトの失脚が2960年と同年に設定されていた、(D4では2960と2974両方の記載があります。先生物語変更されたけど修正を忘れてしまったのでしょうか^^;)またフンフトはボォス星生まれながら両親はジュノーの人だということから、この二人を取り巻く形でジュノー政争があったのではないかと考えていたのですけども…(ところが実際の物語では2974年になっています。そのまえにピアノ伯爵がまさかハリコン・ネーデルノイドだったというびっくりがあり、もうこんなのどうでも良くなってしまいましたけども^^;恐らくネマ王国の虐殺についてもなくなっちゃったでしょう。)

 更に今回イレースの画を描いたので、私としてはこの、今となっては幻になってしまった謎にもう十数年追ってしまったことになりますけども、でも「ま、いいよね。もう…」という感じです。
 彼女についてはファクトリー製、S型、短い黒髪、銀の瞳と接続ポイント、ブラウスを着ていることだけは作品内ではっきりしているのでいかにもいそうな量産型ファティマであるべく、なるべく地味に地味にしました。

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