140文字では託せない、ちいさなちいさな小石。

 
 いきなり関係ない話からで恐縮ですがこの連休、私は毎年恒例のF1日本グランプリに行ってきました。
 永野先生に教えられるようにして知ったモータースポーツの世界はその後の私の人生をも一変させることとなったのですけども、ここ数年はそれほど熱心ではなかったように思います。でも今年は私の道標となってくれたひとり、98~99年のワールドチャンピオンでもあるミカ・ハッキネンも来場しかつてのマシンを走らせましたし、何より今シーズンはF1組織も変わってモータースポーツとしての楽しみも増し、レース展開が面白かった!いうのとは少し違いましたけども、ドライバーと車の良さとが全て圧縮されてタイムに表現されやすい鈴鹿サーキットのコース上で、人生の悲喜こもごも、光と陰を感じ取り、ドラマをそれなりに満喫することができました(ベッテルはあの予選が全て。ハミルトンはちょっと誰にも止められないのが金曜日からの走りやサーキットでの振る舞いからも見て取れました。ああいうのを絶頂期と言うのではないかと思えるほどでした。今年はもう彼で決まりでしょう。)

 ただ、出かけていた間にSNSの中でファイブスター物語に関する議論というか意見の交差があったらしく、私がその全てに目を通したかは自信がないのですが、そのせいかこのへっぽこブログの閲覧数も急に増えておりました^^;
   (でも大したこと書いてないから、もしもそれがブログ訪問のキッカケだとしたらその人にとっては徒労になってしまったかしら、という気もしますけど…(-_-;)

 私個人は読者が永野先生の物語に対してどういったご感想を述べるかは自由だと思っていますし、皆さん色々なことをお考えになっていらっしゃるなとよく思います。(そして私のブログもご自身以外のいち読者が、同じ物語を読んで一体どういう風に感じ取ったのか?そういったことをお知りになりたい、ある意味もの好きな少数の皆様(失礼お許しください^^;)によって成り立っています。)
 なのですけども…今回に関しては大変説明が難しいのですが、それが例えポジティブな推薦理由だとはいえ、お声の強い方が、元々議論となりやすい刺激的な話題とともに、今現実世界に横たわっている問題を紐解くテキストとしてFSSをオススメされてしまうと、困惑してしまうところも正直ありました。
 これがただの一読者ならば「そういった個人のご意見」として読むだけなのですが…
 なにせ、私はそこら辺にある小石をネットの水面に投げているだけですけども、インフルエンサーの方が投げる石は庭の置き石以上のものであり、そこからほとばしる水しぶき、波紋という名の影響力は計り知れないからです。
 「○○さんがオススメしているから読んでみよう」というのもそれは永野先生にも巡り巡って利益になることですし、ファン層が厚くなるのは私としても大変ありがたいことです。おひとりでも多くの方にFSS、読んでほしいからです。
 しかし、大変影響力のある方が作品以外の話題から導き出されるようにしてFSSをオススメされると、その時点で手に取った方は、きっかけが○○さんのお言葉を経由しているのだから、知りたいと思ったものにも、FSSという作品とは別の話題が先に内包されていると思われます。
 したがって作品の中から読み取ろうとする内容も、その方が元々話題にしていたものに沿ったものとなるのではないでしょうか。(勿論中には疑問視したり、そんなことを何も思わない方もいないわけではないと思いますが、大抵の方はまず、その方の書物や生き方を支持されているファンなのでしょうから。)
 
 といってもその方そのものを決して否定したい訳ではありません。先にも書きましたがその方もFSSファンであることに間違いなく、個人の意見としてでしたらどうと思うことはないのです。
 ただその方が持ち合わせる多大な影響力、FSSが登場するきっかけとなったとても刺激的な話題。その両方によって引っ張られる強大なエネルギーに吸い寄せられ、それによって誰かがもしFSSに接したとしたら、その世界には少しだけ色眼鏡がかかっていないか、という点で気になっただけです。

 とはいっても、そういったきっかけで本を読まれた方にこんな掘っ建て小屋の小さな声は届かないと思いますけども…(※注意 オススメされた御本人ではなく、これをきっかけにFSSファンになった方という意味です)
 FSS自体は長年連載していますが、膨大な世界を描いているのにもかかわらず単行本としては14冊しかありません。
 ただの読者がずっと感じ取っていることとしてFSSは「永野先生はロボットやファティマやファッションといった目に見える分かりやすい要素ばかりでなく、物語そのものも確固としてデザイン設計されている」という点に大変特徴があると思っています。
 それはとても華やかな視覚要素にくらべると一見しただけでは分からないだろう、えらく地味なデザインであり、それをどう感じ取るかは読者の手に委ねられているように思います。
 ただその特徴から生じていて、皆様にひとつご注意いただきたいのは、FSSという物語そのものにもデザイニングが施されている故、「世界観や、登場人物がどう語ったりしているかだけで物語を判断するのは危うい点も少なくない」というところです。
 それこそ一コマの描かれ方、その配置、ひとりひとりの設定画、あるいは設定の脇にある永野先生の説明文、そこから読み解き察しようとすると、物語にもまた違った見方が生まれてきます。
 勿論最初はそのまま読んでも十二分に楽しいのですけども、セリフにない、見えない物語にハッとさせられるかどうかは読み手の感性も問われてくるように思います。
 
 ここで分かりやすいようなわかりにくいようなところを少し書いていきます。
 映画「花の詩女 ゴティックメード」の雨のシーンでベリンがトリハロンに対して「誠実な…方なのですね」と言っていますが、ベリンがどうしてそう思ったのかは映画内で説明されていません。
 私はこれがわからない方はあなたの人生損しているよ!とまで思っています。そのあたりは今度の全国31箇所の再上映に足を運び、あなたの目と耳でご確認していただけたらとても嬉しいです^^;
 永野先生の描く物語は本当に多岐にわたり、省略や記号にまでも備わっていることがままあるように思われます。 

 そしてこの項最後に。
 話題の中でどなたかが述べていたことからちょっとだけ触れていきますけども、ウリクルも静も「FSSの世界観としてはあらゆる事に制限だらけのファティマの一員である」とは思いますけども、永野先生は間違いなく、とある役割を彼女たちに載せて描いています。(勿論それは他のファティマたちの多くもまたそうであり、色々な物語での役割があるはずです。ただこの二人は共通したある要素があります)
 一見がんじがらめに抑圧され、また人類にとっては色々な欲望も透けて見え、なのにキャッチーでかつ刺激的な存在であるファティマですけども、そのデザインやAF本来のあり様だけでなく、そのはめられた型から逸脱しつつ描かれた物語の方に私は心惹かれたから、現在もこうして世界の端っこで、FSSについて声なき声を綴っているのだと思います。
 
 でもこういったへっぽこブログもまた、ただの一個人の意見でしかありません。
 だからこれも適当に端折って頂き^^;新しい読者の皆様には是非ともあなたの持っている全力で、FSSという世界を満喫していただくのがとてもとても嬉しいですね!
 

コメント

Premium Flexible Related Post Widget for Blogger – Blogspot