展示室1・ようやく抜けられた思い。


 7月になって、二次創作物の封印とともに、絵のSNSピクシブを退会しました。
 あんまりそういった決断をせず普段は放置してほったらかしのことも多いズボラな自分ですが、これに関してはすっぱりと退会手続きを取りました。
 ゴティックメード再上映のときはそれでも誰かに見てもらえれば映画をご覧頂ける僅かなきっかけになるかも知れないと考え、たまには再上映のお知らせとともに拙い絵を上げていたりすることもあったけど、「でもずっとそうしたかった。」そう数年前からずっと考えていたのです。ようやく実行に移せてホッとしました。

 ピクシブは絵を描く皆さんが交流したり、絵は描かないけど、素敵な作品がちょっと検索すれば自分好みの世界がモニターやスマートフォンで見られるから、と普及したSNSではありました。私も絵を手がける以前から、そのきらびやかな世界には大変憧れたものです。
 そんな私が再び…20年ぶりくらいにイラストを再開したのは、このブログを手がけるきっかけになった「真夜中の会話」というFSS二次創作ノベルを2011年に作るにあたって、でした。絵筆や色鉛筆はiPadと70円位の軽いゴム製スタイラスペンという形に変わりましたけども(その後ApplePencilになりましたけど、それ以外は変わりませんね。)
 ただ文章を綴るよりも、何か視覚的情報があったほうが、手がける方もヒントに結びつくかなと思ったからです。
 それは自分がかつてしていた介護の仕事で、レクリエーションや目の前の課題についてレジュメを書くのに図解があったほうが説明もしやすく、読み手の理解もはやかったから、という経験に基づくものでもありました。
 ノベル作品を手がける前にいくつかイメージスケッチをしたためました。





















sing a song(2011)



planet(2012)

 ウィンターカムズアラウンド(2012)

 それ以後もこのブログを彩る…かどうか分かりませんけども、文字だけのものよりはちょっと賑わいにはなるだろう、そして絵を描くことで文字で考えるよりもまた違ったことが浮かんでくるかも知れないとずっと絵を手がけ続けています。
 しかしその目的は果たせているかも知れないけども、一方自分の絵は人を喜ばせることは全く出来ないことも強く自覚しています。
 そりゃそうですよね。もともと誰かに向けて描いているのでなければ、そういった戦略を持たず(これは自分でも重大な欠落だと思う)、また飛び抜けたような技能も全く無いのに。
 ピクシブのようなSNSはやはり絵や作品を介した同士を探す社交場のひとつと考えられますから、それに気がついたとき、いちはやくピクシブを止めたいと思いました。
 でも先にも書きましたけど、GTM再上映やオフ会のお知らせなどひょっとしたら誰かに向けての切欠になってほしくて発信したいこともあったから出来ずにずっと今まで来てしまいましたけども…。
 そういったことに使いながら、自分の絵はいざ目的を果たそうとするとメモ+α的な要素しかないから、ああ、もっと上手だったら再上映情報も見知らぬ誰かに読まれて広まっただろうに。投稿しつつも、時にはどこか後ろ向きになりがちでした。

 その後は誰かになんて差し出せるような作品ではないのだからと、ひたすら自分のためだけに、ヘタなりにも、見返した時ちょっと微笑むことの出来るようなものをと描き続けています。それを自宅の庭(ブログ)に用いているという点ではお許し願いたいと思います。
 カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ(大バッハの次男さん)は「演奏家自身が感動しなければ聴衆を感動させることは出来ない」と「正しいクラヴィーア(鍵盤楽器、及びピアノの古い呼び方)奏法」という本に書いているそうですが、ようやく自分が多少納得行くような画にたどり着くようになったのはここ1年半くらいではないでしょうか。
 恐らくこの先もそんな境地に至るかどうかは不明ですけども、「もうちょっとの自己満足」…しかもそれを(SNSよりもご覧いただく対象が狭いとはいえ)ネットの海に浮かべるならば今後も追いかけていきたいと思います。
しじま(2017)
※今の自分のお気に入りはこれでしょうか。題が矛盾しているような気もしなくもないけど…

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