これは…言い訳になってしまいますが、ネタバレ付き感想を読まれた方がGoogle+のFSS塾に感想を寄せてこられました。
しかしFSS塾本体は作品内容のネタバレは禁止しており、(その代わり、別アプリを用いネタバレトーク専用の小部屋を作っております。そこではAll of OKになっています)どうお返事してもネタバレに触れてしまいそうだからではその小部屋でお返事するか…でもそれも会話の邪魔になりそうだからこのブログのコメント欄にするか…あ、でもえらく長くなりそうだからやっぱり、一応記事にするか。という感覚です。
なのではっきりいって意味不明かもしれません。それはすみません、ご了承下さい。
※そのきっかけになったご感想については、ここでは触れずお返事だけにとどめます。もし内容をご確認いただきたいのであれば是非Google+のFSS塾にお越し下さいΣ(・∀・;)Googleアカウントをお持ちであればコミュニティ本体は承認制ですがよほどのことがない限りすぐ参加できますから、お待ちしております!
コメントどうもありがとうございました。物凄く長くなりそうなので、場所を移してお返事することをお許し下さい。
ファイブスター物語は色々なおとぎ話が集合しているように私は思っております。
ここではわかりやすいように「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」「かぐや姫」のような童話が一人の作者によって生み出され、沢山の国家と時代の中に散らばり繰り広げられているといったところでしょうか。
おとぎ話はときに体裁を変え、例えば桃太郎の話で川から流れてくるモモが金ぴかになったり、金太郎のまさかりがプラチナ製の凝ったものとして光り、かぐや姫の牛車がチャリオッツに変わり、浦島太郎の亀の甲羅が絹の絨毯製になったりするようなことがありました。
しかしこれらの変貌は世界の見た目についてはえらく様相が変わるものの、お話本体には影響を及ぼしません。それでも一見大幅に変わっている上に、誰でもすぐわかることですから、読み手の中には喜んだ人もいれば、あるいは戸惑い、中には前のほうがいいと離れてしまった方もいらっしゃるかもしれません。
それは私も数年前にその時の大騒動をSNSなどで体感し眺めていましたが、自分自身にはあまり変化はありませんでした。金太郎の新衣装はカッコイイと思ったし、それで新しい世界の広がりを見せてくれるのならばそれも楽しい。また先にも書きましたがこの時はあくまで外観の変化であり物語そのものは同一のものであると考えていたからです。
ただ、その数年前、世界外観の変化について読者間で大騒ぎになっていたころ、私はひとつの物語の変化にも気が付きました。
昔から愛読し大好きだった「桃太郎のお話」。そこから数ページがひっそりと削除されていたからです。
でもその時は皆さん、目立つ金ぴかとかチャリオッツのことに夢中で、そんな数ページの削除は些細なことのように思われたのか、全くといって良いほど話題になりませんでした。
私は思い出溢れるエピソードが削られたことがとても苦しかったものの、当時はそんなことを言っても相手にしてもらえないのはわかっていましたから、「今後きっとそれに代わる新しい物語が用意されていて、いつか当時感銘を受けた以上のものを見せてくれるのだろう」と自身に言い聞かせてそれ以上悲しむのはやめることにしました。
しかし物語が進むにつれ、私を含む読者は大いにその展開をとても楽しく思い、新しい竜宮城や月の世界を満喫していましたが…そんな中でも、桃太郎のお話だけが何故かひっそりと、しかし次々と変えられていっているのです。
そして今回のお話は、桃太郎の話の変化としては三度目になります…ついに登場人物に…桃太郎、犬、猿、キジに、実はライオンも同行していたようなお話がいきなり付け足されていたのです。
作者さんはとてもお忙しく、他にも描く物語が山のようにあるのですから桃太郎の話が最初から書き直される可能性は低いです。
そしてどうも、他の金太郎や浦島太郎に比べて桃太郎の人気が低いことは自分も何となく実感していました。ですからこのライオンが桃太郎へのテコ入れであり、これで読者が「拍手喝采になるような新しい変化」をもたらすものとして投入されたように私には感じられました。
しかし、古くに描かれ、長い時間私がとても大切にしていた物語が、既に完成しているお話の土台まで突き崩されて変えられていっている。
一度はグッとこらえ考え直したことではあるのですが、もう世界外観が変わってから桃太郎の話に関してだけ、3回もこうされている。(2度めはDESIGNS5のフロンドウさんの記述がそうです。)
他の童話については、世界の見た目は変化したもののお話については殆ど変わっていないように見受けられるのに…。(勿論作者さんは創作の中で新しいアイデアを投入されていますから、実際には色々変わっているのでしょうけれども、そんな今まで作り上げて完成されたお話まで突き崩すようなことはなさっていないと思います。)
そして多くの読者さんはその変化を面白いと思ってお読みになられている。それは事実なのでしょう。
でも私にとって、桃太郎は、金太郎や浦島太郎に比べて人気のなかった物語なのかもしれませんが、だけども自分の中では今も最も大好きな物語です。
そしてコメントを書いてくださった貴方様の仰る通り、ライオンの顛末もどこかで伏線として回収されるのかもしれませんが、「もともとあったものが差し引かれ、なかったものが強引に導入されていく。しかも桃太郎の話ばかりに。」という事実の前には、それが幾ら面白くて他の読者さんには大受けだったとしても、私にはすみませんがどう許容してい良いのか今現在わからなくなっております。
そして桃太郎の話は人気がないのか、世界の見た目が変わった時と比べて非常に地味な変化だからか、どちらなのか自分には推し量れませんが、新しく示された物語に対してこういった、動揺にも近い風に感じ取ったのはどうも自分だけなのです。
だけども皆さん面白いと言っている中でそんな水掛け論にもならないことを書いても、仕方がないのではないか。もう決まってしまったことだし…とも一方では諦めに似たことを思う自分も確かにいる。
でも、でも…そんな思いが前回の記事を白文字にさせたのだと思います。
ここで話は少し変わりますがよくネットで「作者さんの作り出すお話は、恐竜が生きていた時代のお話のようなもので、その時代研究により学説が変わったことがあれば、新説として取り入れられ読者は時々、その新しい説に合わせて読む。そんなものに近い」という書き込みが時折拡散されていますが、これがSNSで流れてくる度に、自分は違うと感じております。
勿論研究や追求はとても大事なことで、例えば…昨年惜しくも亡くなられましたが、実業家であったギルバート・キャプラン。彼は音楽に関して全く専門外だったのにマーラーの交響曲第二番「復活」に惚れ込み、それをオーケストラで自ら演奏するために音楽家から指揮法を学び、「復活」1曲だけで数々の世界的オーケストラの指揮をしただけでなく、マーラーの直筆譜を買い求め、直筆譜と現在出版されている譜面とは違うところを研究し自らの版「復活・キャプラン版」を出版した動きは、まさに作曲家の真なる音を追い求めたものでしょう。
私が現在少し関わっている鈴木秀美さんのコンサートについても、メンデルスゾーンの音楽はその当時の楽器で奏でられてこそ真なる魅力が引き出される。(それは一方で、残念ながら現在の楽器の変化はメンデルゾーンの音楽を変質させてしまっている。とも言えるのかもしれません)その追求への共感から由来しています。
※鈴木秀美さんは17日(金)に京都市交響楽団を指揮されるので関西方面の方も良かったらどうぞ〜
しかし作者さんのお話には「星団年表」という枠があるものの、まさに先生の創作が総てであり、過去の偉大な人物の動きを探り追い求めるものではありません。
先生が心に浮かびそれこそ入魂され考えられたものが新しい世界になって現れるのですから、それはこれからも追い求めていきたいのですが、昔も今も先生が作られているものは物語なのです。いくらその世界は広く無限で、また自由だからといって、こちらの方が話として面白いだろうからといって今までご自身が作られた物語の土台までを崩すのは本当に最低限にしてほしいです。
だけどもこんなちっぽけで掘っ立て小屋なブログなんて、読んでもらえるわけがありませんから、今のところそう、心から願うしかありません。
なので本当に、前回に限らず、このブログは1ファンの独り言に近い感想でしかないのですよ。
作品を実際にお読みになる前からそれに影響されコメントを頂いたのは、私の気落ちからお声をかけてくださった貴方様のお心遣いだと理解しておりますが、ブログ告知についてはいつも警告しておりますし、今回は特に「読まれた方も読まないほうが良いかもしれない」と訴えていますから、本当は新たな物語に接する前にこれを読んでいただきたくなかったという思いも正直、一方ではあります。
あとはコメントをくださった方が実際に物語に接してみて、永野先生の作品から直に受け取ったことが総てだと私は思います。
えらく長くなった上に妙な例えでわからない内容、しかも最後は失礼まで申しましたが、真面目にお答えしようとするとこんな風になるということで、どうかお許しいただきたいと思います。
しかし作者さんのお話には「星団年表」という枠があるものの、まさに先生の創作が総てであり、過去の偉大な人物の動きを探り追い求めるものではありません。
先生が心に浮かびそれこそ入魂され考えられたものが新しい世界になって現れるのですから、それはこれからも追い求めていきたいのですが、昔も今も先生が作られているものは物語なのです。いくらその世界は広く無限で、また自由だからといって、こちらの方が話として面白いだろうからといって今までご自身が作られた物語の土台までを崩すのは本当に最低限にしてほしいです。
だけどもこんなちっぽけで掘っ立て小屋なブログなんて、読んでもらえるわけがありませんから、今のところそう、心から願うしかありません。
なので本当に、前回に限らず、このブログは1ファンの独り言に近い感想でしかないのですよ。
作品を実際にお読みになる前からそれに影響されコメントを頂いたのは、私の気落ちからお声をかけてくださった貴方様のお心遣いだと理解しておりますが、ブログ告知についてはいつも警告しておりますし、今回は特に「読まれた方も読まないほうが良いかもしれない」と訴えていますから、本当は新たな物語に接する前にこれを読んでいただきたくなかったという思いも正直、一方ではあります。
あとはコメントをくださった方が実際に物語に接してみて、永野先生の作品から直に受け取ったことが総てだと私は思います。
えらく長くなった上に妙な例えでわからない内容、しかも最後は失礼まで申しましたが、真面目にお答えしようとするとこんな風になるということで、どうかお許しいただきたいと思います。
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