展示室15・錯覚でもいい、私は見つけたんだ!(2016作)

 
 最近DESIGNSなどを読み返しており、今気になっているあることを書こうとしていたのですけども…今日もページを捲りつつ居眠りしていました^^;
 今回何を思い浮かべているのか、またそれが具体化しこのブログに書き留めたりするかどうかわからないのですが、こういった道なき道?を探っていくことが私のファイブスター物語における楽しみだったりします。

 その事と、ふとツイッターで「マシュマロ」(匿名で質疑応答ができるもの)を利用した質問を期間限定で募集していた所、「FSSにハマったきっかけはずばり何でしょうか?」というご質問を受けました。(マシュマロは一応今月いっぱいまで受け付けています。ご興味あればどうぞ。)
 そちらにはお答えしているのですけども、一部ぼかした部分がありました。
 どうもその時はすべてを書くことに気が進まなかったのですけども、よくよく思い返せば、一度配布物の中でそちらについて触れましたので、これもなにかの機会かと思い以前私が書いた「配布物向けのコラム」をひとつ、全文掲載で置いていこうかと思います。
 ご質問者の方がこのへっぽこブログを読んでいらっしゃるかまで分かりませんけども^^;

 尚私がこれをSNSで書くのに躊躇していたのは、なんか宗教チックだというか^^;変にスピリチュアルだと受け取られてもなぁ…と思ったところもあったからです。でも自分の中ではとても大切な出来事であり、人生を大いに変えた”Something Special”のひとつであるとの考えに、変わりはありません。
 一応どちらも「一種の偶像」ではあるのですが、ひとの生み出した作品にどうしようもなく心惹かれたから、今の自分があるのでしょうね(^o^)!
 ※尚ブログ掲載に当たり、改行だけ直していますのでご了承下さい。

(本題前の余談)
 あ、Something Special…といえばこのブログでも度々ご紹介しました25日(土)「プレイエルで愉しむショパンのサロン音楽」、これまたこの場でしか聴けない大変濃密で、最新で心躍るショパンの音楽世界が繰り広げられました。本当に有難うございましたm(__)m
 チェロソナタの真っ最中に地震があって私含むお客さんの殆どは大変ビビったのですけども^^;演奏は全く止まらず(結構な揺れだったため流石に気が付かれた様子ではありましたが)一層白熱を帯びたこともまた、印象的でした!
 そしてピアノ協奏曲の流麗さ!オーケストラだと集団が大きすぎてあまり掛け合いにならない部分がプレイエルの音色と室内楽の編成によって溶け合った音楽の美しさ!これもまさに「特別な何か」を心と身体で体感した一日でした。
 こんな感じであったという画像とともにご紹介しておきますね。

錯覚でもいい、私は見つけたんだ!(2016”Fughetta.”掲載)


 時が流れるのは本当にはやいものです。
 半日時差のあるリオデジャネイロ・オリンピックの開会式を横目にしながら、またこの時がやってきた、とドラマの始まりに高揚感を覚えると同時に自分の持ち時間は有限であることを改めて痛感しました。
 ロンドンの時は自分のブログ「絶対秘密。」を立ち上げて間がなく、やったことのない事ばかりを続けていて、楽しかったものの暗闇の向こうにある池に石を投げていくような感覚でした。
 無我夢中といえば聞こえがいいけども、訳のわからないことをネットの片隅ではじめて。と運悪く私のしていることに遭遇した方にはひょっとすると、そう思われたかもしれません。

 今でも自分はファイブスター物語という作品の片隅で、毎月の漫画連載を読んだ感想や思ったことを書いたりしているだけであり、絵などはそれこそないよりはマシだろう、と言うような状態なのは間違いありません。
 作品のファンとしても中途半端でしょう。私は途中で投げ出して(それが永野先生の言葉がきっかけだったとしても)フォーミュラ1という政治とスピードとがあいまった世界に夢中になってしまいましたし、何年かに一度、単行本が本屋さんに並んだら買う、くらいの時期もそこそこ長かったのです。
 おまけに頭がとても抜けているものですから、作品に出てくる、(魅力的な響きではあるものの大変難解な)単語なんて昔から中々覚えられない。だから情報量の多い他のフィクション作品は(内容がよほど自分の興味を惹かない限り)できるだけ避けるようにしていますし、モーターヘッドからゴティックメードに変わった時も、「そのうち漫画に出たら頭のなかで入れ替わるだろう」とそんな有様。

 それでも今こうしてパソコンに向かっているのも、ただひとつ、「ファイブスター物語はとても心揺さぶられる」作品だからだと私は考えています。
 影響力なんて砂のかけらも持ち合わせていないし、これといった才能もない中途半端なファンなのだから言うだけ無駄なのかもしれないけれども、それでもこれだけは伝え続けていきたい。そんな思いでこういった活動を続けています。

 さて、そんなファイブスター物語の魅力とは・・・よく挙げられるのはキャラクターやロボットのデザインだということになるでしょうか。私ももちろん大好きです。
たまにデパートへいくと、通り過ぎるだけのハイファッションのフロアがあるけれども、人間を美しく見せる為に惜しみなくコストをかけた作品群を眺めていると、そこにキャラクターの誰かの衣装が並んでいるのではないかと錯覚してしまうし、ロボットのデザインは私には詳しくないけれども、設定画の一枚の立ち姿だけで目が光ったような錯覚と物語を感じさせる。
 ロボットは手に入れることができないし、ファッションは高価すぎるから、私としては時々先生が漫画に登場させる甘味やお料理で真似するしかないけれども、それでもその時はキャラクターが味わっている気分とともに、五感で永野先生のお感じになったものをトレースできないかと考えてしまう。そしてそれはとても楽しいひとときだったりします。

 そしてFSSでは既に年表という物語のデザインも早くから公開されています。
 しかし「そこには永野先生以外ではとても手のつけられない」余地のない、しかし途方もない世界がそこに広がっています。
 有名無名の登場人物たちの言葉、予定調和、あるいはそれすら超えた何かが、この年表世界の中に詰め込まれていくのです。
 物語は既にこうなっていくことは決まっている事なのだし、漫画単行本だけでも作品は存分に楽しめるのだけれども、積み重なっていく一コマ一瞬に加えて、副読本”DESIGNS”に代表される設定画とそこに書かれている永野先生からの説明、あるいは毎月の連載だったり扉絵にかかれていたりする僅かな情報が掲示された時に、一瞬でも、その続きが見えてきそうな気がする・・・
 例えるならば、こんな私でもひょっとしたら、へっぽこスコーパーになれたような錯覚を覚えるのです^^;
 このブログはそういったことが繰り広げられているだけで、恐らくFSSの世界では何万という、こういったスコーパーがいらっしゃるのでしょう。

 でも私が心揺さぶられる、と書いた部分はそこだけではありません。
 実は長いこと、自分がなぜFSSを読むようになったのか自分でもさっぱりわかりませんでした。
 きっかけはガイア・ギアが表紙だった当時のニュータイプを他のアニメが目当てで買ったのですが、そこの連載部分がウリクルの絶命シーンだったことは間違いありません。
(単行本2巻をお持ちの方は114~127頁まで。FSSリブート2をお持ちの方は、雨に濡れるスパッドの絵が表紙のところです。)
 しかし全くと言っていいほど自分が好むような要素はこの号の場面にひとつもない^^;
 ギエロはもちろん、コーラスもログナーもちびっちゃいそうな位^^;大変怖いし、ディッパ・ドロップスも不気味だし瞳のない人たち(アキレス、ウリクル、イエッタ)も滅茶苦茶恐ろしい。おまけに私は血がどばーーっとか、流血の惨事がとても苦手です。(ですので現在も、ここを読むときはそろーっと3分の1位しか開かず恐る恐る覗き込んでいます^^;こういう所は他にも何箇所かありますね。)
 当時ロボットアニメを見て育っていたから、この漫画にもロボットが出てきそうなのは分かったのだけど、もう子供だった自分が嫌悪感を抱くもの満載で、今考えても真っ先に避けてしまいそうな感じの出会いだったと記憶しています。
 それなのに何故か、それから続きを買って読むようになったのです。
 しかも好きなキャラクターは、じゃあウリクルとコーラス3ということにいつの間にかなっていたのですが、これも見方によっては人に嫌がられました。しかし自分もどうしてこの二人が好きなのか全く説明できなかったので、反論もできず飲み込むしかなかったのです。
 夢中になり他のアニメ作品には目もくれなくなったほど大好きなのに、自分でも理解できないところの多い謎の漫画でした。

 答えがわかったのは大人になって、しかもブログをはじめてから^^;
 2013年の4月、何故かひとりでローカル線を乗り継ぎ、まるでオーストリアのような(行ったことないのに^^;)山形県の白鷹町というところに演奏会を聴きに行ってきたのですが(その日は春の嵐に見まわれ、延泊の末、しかも翌日も6時間ほど新幹線を待った末に見知らぬご婦人たちと福島まで相乗りするという得難い体験をしてきましたけど^^;それは余談ですね。)
 目的の演奏会も素晴らしかったのですが、そこで何故か地元で祀られている仏像群の展示が行われており、ちょっと興味を引いて一緒に見てきました。
 そこで、私はとある仏像の前で私は釘付けになりました。
 人がまばらなのをいいことに^^;ずっとずっとその像を四方八方から見渡していました。また出会えるかもわからないからもっと見ていたかったほど。
 自分でもびっくりしたけれども、その像を前にして、真っ先にこう思ったのです。

「あ、コーラス3がここにいる。」

 その碧い色の仏様は、不動明王様の像でした。
 私は彼の横顔に、この姿を垣間見ていたのだろうかと思うほどそっくりで、忘れられない時間となりました。
 出会って何十年も経ってから、やっと導き出せた答えでした。

 自分の人生はいくつかの直感で成り立っているという随分いい加減なものですが^^;それを鍛えさせてくれているのもまた、ファイブスター物語だと信じきっております・・・。

 ※私は一時期こういった表紙の配布物(同人誌ではないですね^^;オフ会やご希望の方にお配りしていました。)を作っており、「錯覚でもいい~」はその中のコラムの一編でした。読まれるとは限らないものなのに、妙な情熱を傾けていたような気がしますけども^^;作業中楽しかったことは楽しかったですね…

コメント

Premium Flexible Related Post Widget for Blogger – Blogspot