La Valse.
先日、4年に1度しかない五星音楽コンクール…ジョーカー太陽星団の音楽家にとっては最も栄誉ある、華やかで厳しい10日間のコンペディションが行われ、惑星ジュノーのコーラス王朝・首都ヤースに在住するアレクセイ君が見事、自身の奏でるピアノでその栄冠を勝ち取った。
当然彼の地元では、彼の音源が飛ぶように売れ、また新聞、テレビでもトップニュースとして大いに取り上げられ、アレクセイは一躍時の人となったのだった。
…あの歓喜溢れる瞬間から1ヶ月がすぎた。
その間中も、各方面からの取材に追われてばかりだったアレクセイは、ある晴れた晩秋の日、かつてないビッグイベントへのご招待を受け、コンクール決勝のときと同じ燕尾服を持参して、濃緑の制服の人物に会場を案内されていたのだった。
とはいっても彼はただの客人ではない。
クラシック・コンサート会場を普段から見慣れているアレクセイでも思わず目を見張った程の大きな白い扉が開かれると…そこはコーラス城の…ただでさえ広い城内の中でも一際目立つ、白亜のテラスを真下に見下ろす、ガラス張りの部屋。
彼はそこに、たった一人通されていた。
もともと3日後には王立音楽ホールで、コンクール賞典のひとつとして開かれる王室主催によるガラ・コンサートへの出演が予定されていたのだけれども、その前に地元出身でもある彼の才能をお披露目する、という名目で、急遽祝宴コンサートがこのバンケット・ルームで行われる事となったのだった。
しかし王立音楽ホールについてはアレクセイも何回かその舞台に立ったことはあるけれども、コーラス城内は全くのはじめてだ。
ここに来るだけでも相当な覚悟を必要としたのに、一体この広大なバンケットのようなところで、どの位の人間が集い、またどんな地位の人々がここにやってくるというのだ?
まだ芸術学部の大学院生でもあるアレクセイは、国家色でもある白とモスグリーンを基調としたこの部屋のテーブルセッティングを目の当たりにして、今はシンと静まり返っただけの空間なのにも関わらず、ある意味コンクール以上の緊張感を覚えた。
この部屋に今夜は国王夫妻をはじめ、コーラス3王家のトップ、議会首脳陣あらゆる国家要人が彼を祝福し、演奏に耳を傾けるために集まるらしい、というのだ。
名前や姿だけはニュースで一方的にだけ知っていても、当然アレクセイのような若造にとってみれば、今までひと目でもお目にかかったことなどない雲の上に住んでいる様な人物ばかりだ。
今はいわゆるランチ・タイムの時間ではあるのだけど、コンクールの激戦を勝ち抜いてきた彼でさえ、あまりのプレッシャーにさらされ、またどうにか克服しようと用意してくれていた豪華な昼食を拒み、今、目の前にあるグランドピアノで練習する時間を作ることにしたのだった。
「大丈夫だよ、何時もどおりにすれば」
彼は言い聞かせるように呟くと、漆黒の艶が照り返すピアノの前に立つのだった。
アレクセイは事前にスタッフと打ち合わせし決められた3曲の楽譜を部屋に持ち込み、そのうちのメインの1曲を練習する事にした。
…コンクールで大絶賛された演奏も含まれる自分の得意曲ばかり用意した。なのに!緊張しているからか今日はどうも調子が上がらない。
こんな大事な日なのに!!
彼は何回か同じようなフレーズを奏でては思うようにならないと手を止め、やがてちょっと気分転換しよう、と思い立ち、楽譜にはない違う曲を弾き出した。
ここは自分の家か学校の練習室だと思うようにしたい。そんなときに弾く大好きな1曲。
ただ今夜この場で奏でる曲と比較すれば、あまりにくだけすぎているというか、少々雰囲気が異なるフレーズだけれども。
…このアレクセイの悪戦苦闘ぶりを知らずに、バンケットルームのデッキの屋根に立膝を突き、ピアノの音に耳を澄ませている髪の長い少女がいた。
ファティマ・ウリクルだった。
今夜のコンサートは、彼女はモニター越しでしか見られないけれども、コンクールの覇者が城にやってきて一体どんな音楽を奏でるのか、好奇心で覘きに来ていたのだった。
この瞬間、コーラス城は、これ以上の好天はないとも言えそうな、雲ひとつなく、空がどこまでも青く高く見える。
ポロリポロリと散発的に聴こえてくる旋律は、聴いている側が、なんだか音と共に、その青い色に吸い込まれていきそうな位だった。
しかし、屋根上で一人様子をみていた彼女は、ピアノに集中する余り、耳元で何かを囁かれるまで背後に誰かが来ていることに、全く気がついていなかったのだった。
「彼、うまくやっている?」
その声に驚愕して振り返ると、彼女の主人(マスター)、コーラス王朝の国王でもあるコーラス3世が、グリーンの儀典服のまま、そこにいたのであった。
マスター!と振り返りざま、声を上げそうになったウリクルは、すぐさま「シーッ、」と唇に人差し指を当てられ、発言を遮られた。
「さっき反対側を歩いていたら、君がそこにいるのが見えたんだよ」
コーラスは悪戯っ子のような笑顔を、ウリクルに向けたのだった。
「マスター、ここで油を売っていても良いんですか?」
ウリクルは訝しげな視線を彼女の主人に向けた。
「午後は大きな予定がないし、今晩も身内だけだからね。晩餐といっても、舞踏会じゃないし」
だから少しくらい話をしたって良いじゃないか、と開き直った態度を言葉の隅に忍ばせつつ、コーラスはウリクルの隣に座った。
「?…マスターって舞踏会、お嫌いなんですか?」
「音楽を聴くのは好きだけど、舞踏会は嫌いだね。だって同じ所をクルクル回らなくちゃいけないじゃない?」
ウリクルは今更ながら知ったマスターの弱点を、興味深く聞いてしまうのだった。
「…この曲、”ラ・ヴァルス”だね」
建物の下から、徐々に明快に流れてくるワルツの旋律。
コーラスはアレクセイが弾いている曲の正体に気がついたようだった。
「これ、ワルツだけど、普通では踊れないんだよね。段々と壊れた感じになってくるし」
華やかなメロディーラインが、二人の直ぐ傍を駆け抜けていく。
「音楽が壊れていくんですか?」
「いや、ただ聴いているだけなら艶やかで優雅な曲としても受け取れると思う。でもね、…この曲はどこか狂気を秘めているというか、そんな感じ」
さっきまで一人きりだったのに、思いがけず、コーラスの解説を、直に聞きながらこうして音楽を聴いていられるなんて。
夜の会場に行く事以上の贅沢なひと時かも、とウリクルは微笑んだ。
ただし、ウリクルの穏やかな時間は、ここで途切れてしまったのだった。
コーラスが次に切り出した言葉で。
「そうだ、ウリクル…この曲で、踊ってみる?」
…彼の一言は、ウリクルの眼が見開くほどの、驚きと焦燥をもたらすものだった。
「えっ?ここで…踊るんですか」
「教えてあげるよ。というか君ならすぐに出来るよ」
コーラスの提案に、ウリクルは全身の血液がたぎりそうなのを感じながら、
「でもマスター、舞踏会がお嫌いだって」と抗してみた。
しかし、コーラスは全く意に介さず
「狭い所を同じように回るのが嫌いなだけで、ここなら良いよ。ほら立ってごらん?」
コーラスはウリクルの右手をとって、一緒に立ち上がった。
「─ほら右手は僕の左手に。首には届く?無理なら肩のところでも良いよ」
ウリクルは他に誰も見ていないよね、と心から願いながら彼の指示に従った。
コーラスは彼女の制服の白い腰ベルトの辺りに手を回して右手を置き、ダンスの体勢が完成した。
「いい?あとは僕についてくるようにすれば大丈夫だよ。曲も聴いてね。ほら1,2,3…」
手に手を取って少しずつ歩みだしたものの、突然の展開に…また自分の顔がコーラスの胸元の辺りに来るため、いつもならばもう少し彼の指示通りに出来そうなのに、今日のウリクルは全く足がおぼつかなかった。
彼女のあまりのぎこちなさにコーラスも少し驚きながら、なんとかリードしようと曲に合わせてステップを踏んでいたが、
二人は夢中になる余り、ある事をすっかり失念していたのだった。
「あっ!?」
ここが屋根の上だったという事だったを忘れ、ウリクルがよろけて足を踏み外した。
「危ない!!」
体勢を崩し、落下しそうになる彼女をコーラスは咄嗟に抱えこみ、建物の角を蹴って跳躍した。
アレクセイの弾くピアノに、一瞬緑色の影が映りこんだが、当人は全く気がついていない。
そして彼は、もう一つ、…こちらは気がつくべきだったかもしれない。
誰かがそっと部屋に入ってくるのを察しないまま、今日のスケジュールにになかったウインナ・ワルツ調の楽曲を無我夢中で弾き続けるのだった。
バンケット・ルームの屋根から落下しそうになったウリクルを間一髪救い出したコーラスは、彼女を抱きかかえたまま、更に2度3度跳躍して、デッキの真下に広がっている城の広大なテラスの、巨大な柱の死角になりそうな部分に潜り込んだ。
助けられると確信はしていたものの、彼女を危機にさらしてしまったことに、胸の痛みを覚えた。
革の白い手袋に包まれた、手の平が汗ばんでいるのを感じた。
「…怪我はないかい」
ウリクルは自分の身に一体何が起きて、今どうなっているのか、把握しきれないまま、何とかコーラスの質問にだけは答えようと努めた。
「大丈夫です。…怪我もしていません」
「…よかった」
安堵のため息に、彼女の右肩に添えられていた腕に力がこもり、更に自分の下へとウリクルのか細い身体を強く引き寄せるのだった。
「マスター」
彼女はそれだけを発するのが精一杯だった。
軽いめまいのような、戸惑いと甘い誘惑を感じながら。
…しかしラ・ヴァルスの狂乱は、二人をこのままにさせておくのは許さなかった。
もうウリクルとコーラスからは遠く離れてしまって聴こえないはずのピアノの音が、突然はっきりとした輪郭を持って、バルコニーに響きだしたのだ!
ピアノの練習が、突然筒抜けになって城内の放送に乗って流れ出してくる。
一体誰が、何のために?
「マスター、こ、これって…」
屋根の上で踊っていたのを誰かに見られていたのではないかという危惧が現実になって現れたのではないかと、ウリクルは悟った。
「曲が挑発しているね」
コーラスは、誰かからのこの意図を無視しているのか、それとも本当に気がついていないのか。ウリクルの感じた恐怖とはまるで筋違いの意見を口にした。
そして彼女を自分の束縛から解放すると、更に信じられないことを言うのだった。
「もうちょっと踊ってみようか。ここなら広いしね」
ラ・ヴァルスのメロディは語気を強め狂いだす。
それに引っ張られて彼もおかしくなってしまったのではないか。
しかし不安に駆られる間もなく、立ち上がった彼がウリクルに向かって手を伸ばしてくる。
それを拒む事も出来たのかも知れないけれど、彼女も結局は旋律の魔法に勝てなかった。
コーラスはウリクルの右手を取って、テラスの中央へと二人は駆け寄るのだった。
「なんだ、出来るじゃない!」
たどたどしかった先ほどとは比べ物にならないくらい、二人の呼吸は急速に、ぴたりと重なった。
ウリクル自身も信じられない程、スムーズにコーラスのステップに合わせてついていく。
彼女の頑なな表情にも、徐々に笑顔の花が咲きほころび出した。
その変化を感じ取りながらコーラスも笑う。
お互いが作り出した柔らかな空気が彼を次へ、次へと憑かれたように導くのだった。
「回れる?」「バク転できる?」
他の誰かだったら無理難題間違いなしのコーラスのリクエストにも、彼女は何の躊躇もなく応えていくのだった。
ダンスの作法をすっかり無視し、段々とアクロバティックな動きになっていく二人が、ふっと思い出したように周囲を見渡すと、すっかり状況が変わっていることに気がついた。
「観客がいますよ、マスター」
さすがに二人とも踊りながら一瞬、ぎょっとなり事態の深刻さを理解した。
突然鳴り出した大音量のピアノのBGMに、城で最も目立つ場所でのショー。
お昼時ということもあって人が人を呼び、気がつけば王とファティマの舞踏見たさに城中の職員が殺到して、テラスに黒山の人だかりを作っていたのだった。
「何か凄い事になっちゃったね」
「どうしましょう…」
「もうすぐ曲が終わる、その時逃げようか」
真面目な顔で困惑するウリクルに、苦笑いしつつも、この取り返しのつかない状況をどこか楽しんでいるコーラスがいた。
そして彼女の耳元で、何かをささやいた。
やがて二人はお互いの両手を取って、クルクルと勢い良く回りだした。
テラスの床が削れるか、竜巻が起こるのではないかと、その場で見ていた人が後に語ったくらいの凄まじさだった。
「行くよ」
最後のフレーズが掻き鳴らされると同時に、二人は手を離し、別々の方向へ跳んでいったのだった。
「ブラボー!!!」
アレクセイが自分の気晴らしに、と弾いていた曲が全て終わった時、彼はようやく、今までの状況が一変している事に気がついた。
割れんばかりの盛んな拍手。演奏を讃える歓喜の声。
気がつけばアレクセイの周りには、こちらも信じられないほどの人の集まりがグランドピアノを取り囲んでいたのだった。
大音響には気がついたもののテラスにたどり着くのに間に合いそうにもない人々が、せめて弾き手の様子が見たいとこのバンケット・ルームに殺到していたからだった。
「演奏素晴らしかった!おまけに滅多にないものも見せて貰ったわ。本当どうもありがとう」
城勤めの誰かがアレクセイに興奮気味に声をかけて、去っていく。
彼にはプログラムに予定していなかった1曲を弾ききった事以外の心当たりがなく、最初はこの言葉の意味を理解することが出来なかった。
人々は次々にアレクセイに称賛の言葉を伝え、やがてそれぞれの持ち場に消えていった。
幾重もの称賛を受けた後だいぶしばらく経ってから、喧騒と入れ違いに一人のトリオ騎士が部屋に入ってきて、彼はあまり嬉しくなさそうにアレクセイに言うのだった。
「どうして君の練習が、城内に流されているんだい?」
後でアレクセイと騎士は、誰かが無線マイクをピアノの上にこっそりと置いていったことを知るのだった。
アレクセイはすっかり夢中になって演奏していたため、騎士に矢継ぎ早に質問されても、いったい誰が何故このような事をしたのか、答えることが出来ない。
そして彼がラ・ヴァルスを弾いていたたった12分の間、城内で一体何が起こっていたのか、半ば愚痴のような響きも交えて騎士からその顛末を聞かされたのだった。
その出来事を耳にしたアレクセイはあまりに怖れ多くなり、今夜の演奏会でどうリカバリーしたら良いのかと混乱を交えた悩みが新たに追加された。
とはいえ好奇心から二人の舞踏を自分も是非見てみたかったという思いもあり、コンクール覇者の胸中には、作品をイメージ通りに弾ききったことによる興奮と思いがけない反応がもたらす新しい活気と、さっきまであったはずの大舞台への緊張感とも違う困りごととが自分の中で代る代るに交錯するのだった。
おしまい。
※何故か突然そっと棚に戻す形で忍ばせたくなった二次創作です。
私が一番最初に書いてネットに上げたものがこの”La Valse”でした。
2011年の11月頃書いたものなのでもう8年前なのですね^^;
ラ・ヴァルスは文字通りラヴェルのピアノ曲(ソロ、及び二台ピアノ版があります)および管弦楽曲で現在もリサイタルやクラシックコンサートで人気があります。
この約12分間の音楽に沿って話がスピーディに進行していく、そんなイメージで2日位で書いたものです。
今回ブログから復活させ、忍ばせるにあたって、少し文面を直しましたが全体としては変わってないと思います。
この作品を出発点として、それから 8年の歳月でファイブスター物語についてこういったネット活動を続けてきて私が何かが変わったかといえば何も変わってません。相変わらず地味な存在、ただの作品ファンです。
しかし積み重なった時間は信じられないない程の素晴らしい出会いをいくつももたらしてくれました。才能が、あるいは影響力が自分にあればどんなに良いかと悩みながらも書き進めていった日々が、今の私を支えてくれているとも思うようになりました。
いつまでこういったことを続けられるかは分かりませんけども、今後とも地道に自分の出来そうな事を、一歩だけでも勇気を振り絞って手がけていきたいと思います。
20191104 チーク。
追記
もし聴き放題のAmazonMusicUnlimitedにお入りなっている方がいらっしゃったらこの江口玲さんのLa Valseをどうぞ。流麗で何処か狂ったラヴェルというグルーヴが最高にいいです!
こういうイメージというのが伝わってもらえれば幸いです。
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